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【メモ】ふたつの論文の『王孫不孫』に関する記述

理化学研究所の小保方晴子氏が早稲田大学に提出した博士論文の序論にあたる部分をめぐって、ここ何日か騒ぎになっています。(参考「【衝撃】理研・小保方晴子氏の博士論文、冒頭20Pがコピペだったと判明 著名研究者の絶句ツイートまとめ – NAVER まとめ」)

この話題を目にして、今年3月8日付で公開した「『schola 坂本龍一 音楽の学校「日本の伝統音楽」』からの連想」を書くために調べていたときのことを思い起こしました。

三善晃作曲『王孫不孫』と能楽の関係を確かめるべくGoogleで検索していたら、検索結果として見つかった2つの文書が気になりました。『王孫不孫』についての記述を以下に引用します。

丘山万里子氏による「生と死と創造と……作曲家・三善晃論」(単行本『鬩ぎあうもの超えゆくもの』所収, 深夜叢書社, 1990年7月)より:

 1970年の《王孫不帰》は、三好達治の詩による男声合唱である。不帰の人たちへの弔慰や贖罪を、古語で歌ったこの作品は、三善が幼少時から家で耳にしながらなじめずにいた、謡いの拍節や旋法をとりいれている。彼には珍しい男声のみの編成によって生み出される、闇ばかりの音空間に「はたり」「ちょう」という詩句だけが走る。時折、魂の深部にくさびを打ちこむようなピアノが響き、鈴が鳴る。それらが終った静寂の中で、私たちは、どうしようもなく重いものを、心に置き残されていったのを感じる。それを、死の重さ、と言ってもよい。選ばれた死を意志していた彼に、戦野に散った無数の他者の死が見えてくる。終戦に中学一年であった彼にとって、死は日常のもので、それを自分のこととして感じたことはなかったと言う。

千葉皓司氏の平成21年度修士論文「三善晃の合唱作品における《ピアノ・パート》 —演奏の視点からの分析—」40ページより:

不帰の人たちへの弔慰や贖罪を古語で歌ったこの作品は、三善が幼少時から家で耳にしながら馴染めずにいた謡いの拍節や旋法が、声部の横の動向に取り入れている。そして縦の関係ではクラスターが作られている。曲に見られる狭い音程内での半音的な旋律進行や、半音で重なる縦の響きは、謡いの節回しと響きの影響である。三善には珍しい男声のみの編成によって生み出される闇ばかりの音空間に「はたり」「ちょう」という詩句だけが聴こえてくる。時折、魂の深部に楔を打ちこむようなピアノが響き、木鉦、鈴が鳴る。木鉦や鈴は、合唱のシラブルの発声と同時に音を発して、アーティキュレーションを補い、合唱とポリフォニックな関係を形成する。ピアノも、合唱の謡いふうの旋律進行に同調する音形で関わるので、合唱、ピアノ、打楽器で一つの言葉を発しているようなテクスチュアとなる。

発表されたのは後者のほうがあとですが、その参考文献リストに前者は含まれていないようです(ただし丘山氏による別の著書は挙げられています)。


だからどうせよなどと申し上げるつもりはありません。あくまでも「オヤと思ったことのメモ」として書き留めるまでです。

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