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テキストを解釈するということ —男声版『そのひとがうたうとき』出版をきっかけに—

一昨日、カワイ出版から来月6タイトルもの男声合唱曲の新刊が発売されるという記事を書きました。

6タイトル中の1冊『そのひとがうたうとき』楽譜編集時に、表題曲について判明した新事実があるそうです。
それは、詩に出てくる「たいこ」という単語の扱い。
結論だけ書くと「従来と同じままで続ける」と決まったとのことですが、新事実が指摘されてからの判断プロセスが重要です。ぜひ作曲者・松下耕氏の公式サイト内コラム「驚きの事実」を参照いただきたく。演奏の際に留意すべき事項も付記されており、この曲を演奏する人は混声・女声・男声問わず必読だと思います。

コラムを読み、せきが思い浮かべたのは二つのことです。

一つは、多田武彦氏が作曲した男声合唱組曲『草野心平の詩から』を連想しました。
1990年にメンネルコール広友会がこの組曲を取り上げた際、団員の深沢眞二氏が団内向け資料で「『天』で『大日輪を』の『を』がないことや『微塵』『樹木』の読み方がビジン・キギなことや『さくら散る』の始まりが『ちるちるまいおちる』なのは何故だろう」と書いたところ、それが作曲者の目に触れ、初演から30年近く経って「天」「さくら散る」に改訂が加えられることとなりました。
経緯は深沢氏の著書『なまずの孫 1ぴきめ』に詳しいです。

多田氏が改訂することを選んだのは、深沢氏の疑義を無批判に受け入れたのではなく、ご自身で詩人の意図などを再検討した上でのことです。
一方、松下氏の現状維持という判断も、詩人の意図などを考慮した上で決めたことです。
せきとしては、どちらの方針もありで、優劣を付けたり一方を否定したりすべきではないと考えます。

もう一つは、歌い手が演奏するために「詩を解釈する」ことにまつわる事象です。
詩の解釈は一意に正解が定まる性質のものではありません。作曲者が作曲するにあたっての詩への解釈は、演奏者が詩だけを読んで解釈したものとイコールとは限りません。
その端的な例が、『そのひとがうたうとき』の一件といえます。

演奏の際は「作曲者が詩をどう読んで楽曲・音の形にしたか」という観点からの分析を忘れないようにしたいものですね。

なお、木下牧子氏の公式サイト(旧)内「Q&A」コーナー『質問15 詩の解釈に重点を置くのは、合唱指導において有効なアプローチか?』『質問44 「思いをこめる」ことと「思いを伝える」ことの違い』で述べられていることも勉強になります。

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