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2010/11/3・4の日記(その2):耕友会コンサート Vol.6

前記事「2010/11/3・4の日記(その1)」では触れなかった演奏会リポートの第1弾。

11月3日の夕方、新宿文化センターで「耕友会コンサート Vol.6 —松下耕指揮者生活25周年—」を聴いた。

プログラムはすべて松下氏の近作、しかも耳にする機会が少なそうな編成の曲ばかり。

チケットは全席指定。ツイッターで知遇を得た三好草平氏(明治大学グリークラブOB)にチケットを手配していただいてたので急ぐこともあるまいと開演5分前に入場したら、似たような考えの人が大勢いらしたらしく、当日預かりのチケットを受け取るのに3〜4分ほど並ぶ羽目になってしまう。

プログラムのパンフレットは、無料配布なのが信じられぬ充実ぶり。各ステージの曲目紹介は松下氏ご自身による執筆。その前に25周年祝賀企画として、ヤン・ウカシェフスキ(合唱指揮者@ポーランド)、オルバーン・ジェルジ(作曲家@ハンガリー)、ジョナサン・ヴェラスコ(合唱指揮者@フィリピン)、ジェニファー・タム(合唱指揮者@シンガポール)、モルナ・エドモンソン(合唱指揮者@カナダ)、レイヨ・ケッコネン(作曲家@フィンランド。プログラムではSulasolの編集者という紹介)の各氏がメッセージを寄稿しておられた。

入口の行列に配慮して下さったのか、開演は数分遅れ。第1ステージに先立って三好氏が登場し、ステージの下手で「本演奏会はライブレコーディングしているので携帯電話の電源を切ってください。マナーモードのバイブではだめです」という趣旨でアナウンスした。その甲斐があってかケータイは鳴らず。ただ、残念ながら第4ステージの曲間で腕時計のアラームらしき音が聞こえた。


第1ステージ:オルガンのための“La Rivelazione di Dio”—神の啓示—(2010:日本初演)

2楽章編成。1楽章は陰、2楽章は陽、でも陰の中にも陽を求めて経巡る要素があり、陽の中にも陰を含んだ遠近法がありという曲。

チケット手配をお願いするのがぎりぎりになってしまったせいか、座席は最前列の上手寄り。新宿文化センターのパイプオルガンも舞台上手にあるので、後ろを振り返るような体勢で聴いた。

オルガンの独奏を聴くのは初。なかなか興味深い体験であった。つい最近、木下牧子氏の近作「パイプオルガンと混声合唱のための『光はここに』」初演の模様を録音で聴く機会があり、それと相まって、今更ながらオルガンという楽器の幅広さを知った思い。

第2ステージ:オーケストラのための“De Profundis”—深き淵より—(2010:書き下ろし初演)

こちらも2楽章編成。『神の啓示』第1楽章を拡大したみたいな感じ。そう感じた特徴は、ある短い単一モチーフを執拗に繰り返し徐々に変形しつつ音楽を展開・推進させてゆく点。松下氏ならではの語法のひとつなのかもしれない。ただ、同じモチーフの反復でも、オルガンは基本のトーンが共通なので音楽が深まっていくのに対し、オーケストラは違う楽器どうしで模倣していくことによる広がり+深まりという効果があり、印象に違いが生まれる。

第2楽章の後半、光が差し込むくだりでオルガンが鳴ったのには驚いた。プログラムでも場内アナウンスでもオルガン使用に全く触れられていなかった上、自分の座る席では普通にステージを見ているとオルガン周辺は視界に入らないからである。そういえば第1ステージ終了後にオルガン奏者・新山恵理氏がレジストレーションを調整しておられ、そのときは演奏が終わったのにと不思議に思ったものだが。

このあと10分間の休憩。

第3ステージ:混声合唱とオーケストラのためのカンタータ“水脈速み [みをはやみ] ”(2009)

作曲者曰く、「国境」をキーワードとする連作詩4篇を壮大に表現しようとしたとのこと。重たいテーマだけど耳に難渋さが少ない。

最終ステージにしてもおかしくないボリュームで、演奏者によっては途中で聴き疲れを感じさせかねないが、今回はそんなことはなく終始ひきつけられ続けた演奏であった。せきは技術的な穴が目につくと粗捜ししがち、でも今回は穴が目につかず音楽に集中できた。これは他のステージも同様。

このあと20分間の休憩。『水脈速み』ではコーラスがばらばらの衣裳(所属団ごとの違いかしらん?)だったが、休憩中に着替え、次のステージでは統一されたフォーマルウェアであった。

第4ステージ:混声合唱とソリスト、オーケストラのための ミサ第1番“Missa pro pace”—平和へのミサ—(2007)

白眉。最初の一音からタクトが下ろされるまで終始「祈念」が伝わってきた。全楽章を通すと30分を超える大曲なのに(以下前項に同じ)。

全体を貫く祈念を形作る一要素として指摘したいのは、パンフレットの解説にある「作品全体がG音に支配され」ていること。特にKyrie前半、G音のユニゾンで始まり途中で音高が変わったりハーモナイズされたりしながら執拗なまでに繰り返される「Kyrie eleison」の連呼(Agnus Deiで似た手法により再現される)は強烈な説得力があり、かつミサ全体の保続音とでもいうべき効果を感じた。

蛇足を承知でもう一点。松下氏の書く外国語作品には、音響的には面白いけどディクションやアクセントの扱いに首をかしげたくなる楽曲も複数存在する。だが『Missa pro pace』については、そのような違和感を全くおぼえなかった。

ミサを振り終えた松下氏が指揮台の上で脱力した一瞬から、この演奏会に注ぎ込んだエネルギーの膨大さが見て取れた思い。

アンコール:混声合唱とオーケストラのための“そのひとがうたうとき”(編曲書き下ろし初演)

ピアノ版ではアルペジオの連打で始まるが、オーケストラ版はそれに相当するフレーズの前に金管のファンファーレが高らかに鳴る。曲の崇高さが倍増するような印象。

演奏はもちろん、選曲も素晴らしい。国境を超えて歌声が響くという詩は『水脈速み』のアンサーソングといえるし、松下氏が作曲に当たってこめた平和への希求は『Missa pro pace』に通じる。そして何より、松下作品と縁の薄い合唱人にもよく知られていることもアンコール曲として大きな条件であろう。


アンコールを終え、まず東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーが退場。和気あいあいと談笑しながらステージを去るさまは初めて見たような気がする。演奏者のみなさんがステージに充実感をおぼえたあらわれという印象を受けた。

続いて、歌い手のThe Metropolitan Chorus of Tokyo(耕友会)が一段ずつ退場。去り際に客席に一礼するメンバーのいらしたことが心に残る。


宣伝文句にたがわぬ渾身のステージだったが、威圧されたとかいうことでなく、むしろ幸せな後味に浸りながら演奏会場を後にした。上京を1日前倒しで延長してよかった。

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