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ステージ出演予定などは告知カテゴリをご覧ください。

名島先輩 → 名島先生

第1回にいがたコーラスアンサンブルフェスティバルのゲスト講師・名島啓太先生と、ささやかな由縁がある。



1992年。せきは立教大学の1年生、グリークラブに入団して間もない頃。

部員の一部が揃って団を去り「混声合唱団 鈴優会」を立ち上げた。抜けたメンバーの一人が名島氏で、現在まで鈴優会の常任指揮者でいらっしゃる。

立教大学グリークラブは4年生が幹部、3年生が準幹部という体制で、2年次ではきたるべき準幹部および幹部に向け、クラブのありかたなどについて議論しあいつつ、役職決めを行う。その過程において名島氏の代では分裂が生じた、らしい。せきの事実認識はこの程度で、立ち入った経緯は分からない。

名島氏および鈴優会の歩みを見ると、立教グリーと袂を分かったのはむべなるかなと今は思う。


せきが把握している限り、立教グリーから鈴優会へ移ったメンバーは、当時の2年生が男声6名ほど+女声1名ほどと、1年生の女声2名(ざくっとした把握のため誤差があるかも)。

名島氏の代の男声については3分の1が抜けた計算になる。どれほどの衝撃か、お分かりいただけるだろう。


余談。鈴優会創設に伴って立教グリーを離れた同期2名のうち、1名は間もなく戻ってきた。

4年次の秋深い某日、そのへんの事情をご当人(戻ってきてからMezzo Sopranoのパートマスターになった)に尋ねてみたことがあるが、答えは「うーん、どうだったかな……」で終わったような。


ともあれ、立教グリー史上まれにみる大事件なのは間違いない。しばらく立教グリーの中に鈴優会を敵視するような空気があったことを覚えている。


鈴優会に移った先輩の中には、立教グリー在籍中、新入部員のせきに手ほどきした人や声をかけてくださった人もいらっしゃる。

だが、Second Tenorの名島氏とBassのせきが直に声を交わしたことは恐らく皆無。

せきが3年生のとき、産業心理学だか人間工学だかの授業で名島氏の姿を見かけたことがあるけれど、まだ鈴優会へのわだかまりが残っていたことなどで結局ご挨拶せずじまい。


鈴優会の演奏会は1度だけ拝聴したことがある。1994年11月に行われた第4回定期演奏会。演奏について印象に残っているのは、Sopranoが突出して大きく聞こえたということぐらい。同じ合唱団がのちに合唱連盟のコンクールで全国大会に進出しようとは想像もつかなかった。

その演奏会のパンフレットが手元にある。あちこちのページで大学4年生の名島氏が文章を書いているのを読み「才気走った人だ」と当時のせきは思ったものだ。



十余年の時は流れ。

2004年に郷里越後へ生活拠点を移したせきは、立教グリーOBOGと違う方面の合唱、なかんずく地元の合唱界に目を向けるようになる。そこで驚いたことの一つが、名島先生(ここから敬称を変える)が県内で複数合唱団を振っておられることだった。

名島先生の躍進ぶりは全日本合唱連盟の機関誌「HARMONY」などでちらほら目にしていたのだが、まさか当地で……。

2007年、新潟ユース合唱団が第2シーズンの活動として自前で演奏会を開催したとき、舞台袖で、賛助出演団体・合唱団ユートライの指揮者として出演していた名島先生と再会する。といっても当方は恐縮のあまり声をかけづらく、会釈申し上げたのみ。

ステージの合間にtek310氏が諸先生方にしたインタビューや、終演後のレセプションでのスピーチを聞いていて、名島先生の話し声が大学時代の記憶と違うような気がした。もし感じたことが正しければ、重ねた年月による変化と、発声トレーニングで変えたものであろうか。


そして先月の第1回にいがたコーラスアンサンブルフェスティバル。

名島先生の指揮により、Ariel Quintana作曲「Ave Verum Corpus」を公開リハーサル付きで合同演奏した。

テンポ・ダイナミクスの動きで音楽に命を吹き込むさまやリハーサルの進め方からは北村協一先生の匂い、テクストの流れを音楽に生かす曲づくりからは畑中良輔先生の匂い(北村先生も畑中先生も、名島先生が団員だったときの立教グリー指揮者)を、せきはかすかに嗅ぎ取った。

終演後、名島先生にご挨拶申し上げる。

「なんとお呼びしたらよいのか、……」と前置きして後輩と名乗ったがピンとこないご様子。せきの同期にあたる鈴優会在籍経験者の名前を挙げたら少しばかり懐かしそうなお顔になったが、いずれにせよ名島先生にとって自分は記憶のかなたでいらしたようだ。

ちょっとお話しさせていただき「丸くなられたなあ」と思った。あふれる才気は昔の演奏会パンフレットから感じたのと勝るとも劣らないながらも。

立教グリーOBOG多しといえど、合唱指揮者として独立してからの名島先生と、いま立教グリーOB男声・現役男声の指揮者であらせられる高坂徹先生(昭和56年卒)、ご両人のタクトで歌ったことがある者は、せきぐらいのはずだ。



付記

本エントリーは、イベント終了により非表示になった告知を含め、通算100件目です。カテゴリー「思い出話」には初記載となります。時期的な偶然もあるのですが、節目ということも少しばかり意識してみました。

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