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北村協一先生にまつわる思い出 (3)

北村協一先生にまつわる思い出 (1)」および「北村協一先生にまつわる思い出 (2)」の続きです。



少なくともせきの現役時代、立教大学グリークラブ男声合唱団における北村先生の練習は厳しさに満ち、雷が落ちることもしばしばだった。それにかかわる影の部分を、回想文にふさわしからぬことを承知で、今回は綴ってみる。いわゆる「黒歴史」に属する事項を含むこの記事だけが切り離されて一人歩きしないことを願いつつ。


せきが入学する前の年、指示に対する反応の鈍さにブチ切れた北村先生が練習半ばでお帰りになる事態(傘を置き忘れたことに気づいて取りに戻ってきたというオチがついていたが)が起きた。その一件は当時現役だったメンバーの間で畏怖をもって語り継がれており、せきが入団してからもその事態を再発させまいという思いの下に運営されていた。

また演奏会のたびごとに「出演メンバーが○○人に達しなかったら振らないぞ」と釘を刺されており、実際せきが現役のとき北村先生に縁を切られてしまった大学男声合唱団(ただし人数のせいかどうかは不明)もあったりしたので、「自分たちは縁を切られてはならぬ」という緊張感も漂っていた。

にもかかわらず、せきが4年のときの男声定期演奏会練習で、北村先生が練習半ばでお帰りになる事態が起きてしまった。当時せきは卒業論文の追い込みで研究室で指導を受けたりしていて練習に途中参加することが多く、あの日も最初の1時間ほど練習に出られず研究室から大急ぎで練習場に駆け込んだら、いらっしゃるはずの北村先生が退出したあとで、残った一同は顔面蒼白で呆然としていた。その後、皆で練習の立て直しや先生との関係修復に努めたことは言うまでもなく、キャプテンをはじめとする幹部の一部は頭を丸めた(私も幹部学年ではあるが剃髪まではせず)。現役最後のステージである第86回男声定期演奏会の録音を聴くと、あのときの悲愴感や必死さを思い起こして今も胸の底が重たくなる。

こうした北村先生の叱責は現役部員を発奮させるための鞭だったのだろう。けれども、せきが現役だったときの立教男声については、この鞭が逆に部を萎縮させる方向にはたらいてしまったのではと思う。

翌1996年度、北村先生が立教男声をお振りになることはなかった。アラウンドシンガーズのアメリカ演奏旅行がゴールデンウィークに計画されていたため、三女連(現在の四女連)や六連を指揮なさらないことは早くから決まっていた。そして定期演奏会、北村先生が指揮したのは女声定期演奏会だけで、男声定期演奏会の出演依頼は断られてしまった。われわれの代が北村先生とのつながりを断つきっかけを作ってしまったわけで、今でも慙愧に堪えない。

なお、その第87回男声定期演奏会で現役幹部は、北村先生の抜けた穴を埋めるべく、OB男声合唱団の常任指揮者である高坂徹先輩にお願いした。高坂先生は今に至るまで現役を指導・指揮し続けておられる。

1997年度は、定期演奏会から北村先生と立教男声のつながりがOB合同ステージという形で復活した。立教大学グリークラブOB男声合唱団のコアメンバーが仲介に動いてくださったことに負う部分が大きい。わが代の不始末を諸先輩に尻拭いさせてしまったことになるわけで、せきとしては感謝と申し訳なさでいっぱいである。

以降、立教グリー現役男声と北村先生の関係は続いてきた。立教男声が北村先生に六連で指揮していただくのは結果としてせきが幹部だったときの代が最後となったが、男声定期演奏会の最終ステージをずっと指揮して下さった。ときどき現役OB合同ステージという形をとった年もあった。

だが2005年の立教グリー女声・男声定期演奏会の出演者に北村先生のお名前はなかった。その頃せきは不徳の致すところでOB男声合唱団との交流が途絶えた状態にあったため、出演なさらなかった事情が分からず、現役が何かトラブルを起こして先生のご機嫌を損ねたのかと気をもんだものだ。御健康上の理由(箝口令が敷かれていたらしい)と分かったのは御逝去半月前、第74回関西学院グリークラブリサイタルに車椅子で出演したと伝え聞いたときで、現役に失礼な妄想をしたことを恥じた。



本シリーズはまだしばらく続きます。

コメント(2)

  1. こんにちは。今頃になってこのページを見つけました。私はせきさんと同学年で、大学から合唱を始めた者です。1年生のときに東京芸術劇場で聴いた「雨」に感激し、いまだに合唱を続けています。
    せきさんの1年下、セカンドのSくんと高校時代同級生でこの記事に書かれている内容を当時聞いていました。どこの合唱団でも先生との関係はいろいろ気をもみますが、やはり立教グリー男声という一流の合唱団ではその気の揉みようも尋常ではなかったのですね。
    立教グリー男声は私にとってあこがれの合唱団でした。つい最近まで東京に赴任しており、いつも芸術劇場の横を歩いて出勤していましたが、その度に学生時代に聞いた「雨」を思い出していました。現在は故郷に戻りましたが、今年の定期演奏会には行ってみようかと思います。

    返信

    やぎ

    • やぎさま。いらっしゃいませ。

      「セカンドのSくん」誰のことか多分わかりました、懐かしいですねえ。彼もそういう話を当時してましたか……。今も胸が痛みます。

      立教グリーの男声定演には私も足を運ぼうかなと考えております。その折にお目にかかることができればいいですね。

      返信

      せき

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