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高橋悠治氏の合唱曲について小リポート

高橋悠治という音楽家がいます。ピアノ演奏や文筆などの活動でも名高いですが、ここでは作曲家としての高橋氏、それも合唱曲に焦点を絞って書いてみます。
高橋氏の合唱作品は、当サイトがお世話になっているScaffale氏作成の「高橋悠治合唱作品リスト」に2000年までのものがリストアップされています。また、高橋氏の公式サイト内「作品/楽譜」に、全ジャンルの作品リストがあり、何割かの楽曲の譜面が「ダウンロード・転送・演奏可能」なPDFファイルとして公開されています。前者は今世紀に入ってからの作品がなく、後者には主に初期の作品で記載されてないものがあるようなので、両者を足し合わせるのがよいでしょう。
PDF形式で公開されている譜面のうち、合唱曲および複数の声のための曲については、作曲年代順に『クリマトーガニ』『Metta Sutta(慈経)』『いろせす』『遠い島の友へ』『あなたへ 島』『夜,雨,寒さ』があります。
音源については、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の公式サイト内「演奏資料館」にて、法政大学アリオンコールが六連こと東京六大学合唱連盟定期演奏会で演奏した『回風歌』『冬のスケッチ』のライブ録音を聴くことができます。ただ、どちらの曲も演奏中に動き回ったりしていますし、『冬のスケッチ』については図形楽譜で描かれているので、音だけで知ることができるのは楽曲の一端だけといえましょう。
(せきは『回風歌』『冬のスケッチ』とも1度ずつ客席で実演に接しましたし、別の演奏をビデオで見たこともあります。また、東京都渋谷区恵比寿にある合唱センターの資料室で『冬のスケッチ』譜面を閲覧した憶えがあります。『回風歌』の譜面も閲覧できるはずですがそちらは見てません)

高橋氏による合唱曲は、西欧のオーソドックスな合唱曲とは明らかに異なるものが多いです。
日本を含むアジアに題材を求めた作品が多いこと、さらに氏が1970年代に「水牛楽団」を結成してアジアのプロテストソングを演奏していたことから、高橋氏をアジア志向の作曲家と見ることができます。
ただ、作風が西欧的でない理由を西欧嫌いだからと考えるのは短絡的です。演奏者としての高橋氏は西欧クラシックに属する楽曲をそうでない楽曲と分け隔てなく取り上げますから、アジア志向には別の理由があるということになります。
せきは、高橋氏の合唱曲について、氏が今の社会に抱く極めて強い問題意識や思想が作品の軸をなしていて、それゆえに強烈な個性を持つものと認識しています。
テクストのチョイスから高橋氏の問題意識や思想が表に出ている作品も少なくありません。
端的に分かりやすい一面として、政治・社会・時事的な要素が含まれたものを列挙します。

  • 毛沢東詞三首』
  • 成田闘争を扱った『三里塚』
  • 1948年に韓国済州島で起きた民衆蜂起を背景とする『遠い島の友へ』、同じく済州島を描いた『あなたへ 島』
    (後者のテクストについては「尹健次のホームページです」→「詩」→「詩論」→「小林孝吉−戦争の記憶と和解」を参照)
  • 神戸高塚高校校門圧死事件被害者の女子生徒や学校でのいじめが原因で自殺した少年を題材にした詩を再構成して作曲した『ふしぎの国から』
  • 「EZLN(サパティスタ民族解放軍副司令マルコスの語るマヤの神話『密林のことば』より」という副題を持つ『夜,雨,寒さ』

ですが、そういうテクストによる合唱曲でなくても、高橋氏の問題意識や思想は同じように作品の中に存在します。
それを示す、高橋氏が自作について記した文章をふたつ引用します。
ひとつは、2008年5月に行われた第57回六連の演奏会パンフレットより、法政大学アリオンコール単独ステージ『回風歌』ライナーノーツ後半。

 普通の合唱曲のように声を同質にそろえて、いわゆる「ハモる」状態の共感共同体として上から統制されるのではなく、それぞれ自前の声の多用な音色が、その差異を生かして、一本の旋律を、擦れ合い、ずれながら、絡まりあう曲線の束に変えていく。それは同時期の「水牛楽団」の合奏法と似ている。それまでのイデオロギーと中央集権組織による抵抗運動の限界と崩壊を見ながら、東南アジアの村の音楽や、鶴見良行がそこで出会った村落民主主義、宮本常一が離島の寄り合いに見たものを、自己組織の方法として合唱の場で最初に実験したのが『回風歌』だった。

もうひとつは、1990年の法政大学アリオンコール第40回定期演奏会の演奏会パンフレットより、『冬のスケッチ』初演ライナーノーツ後半。

合唱団もそうだが、人間の集団というものは統制されればされるほど、自分の声をなくして軍隊や組や学校のようなこわいものになっていく。
ひとりずつがもっとばらばらであれば、争いもちいさく、全体の平和を乱すこともないのに。
ひとつのものにならないで、いっしょにいられるためには、どこかでバランスをとる必要がある。
その微妙なバランス点を見つけるための実験なのだ、これは。

《いわゆる「ハモる」状態の共感共同体として上から統制されるのではなく》は、氏がPDF形式で楽譜を公開している他の合唱作品群からも一目瞭然です。
統制を避け西欧流でない書式で書く理由が『冬のスケッチ』ライナーノーツに記されており、それは統制したがる傾向にある日本社会へのアンチテーゼとも解釈できます。
高橋氏の合唱曲は、超絶技巧系ではなくサウンド的に面白いものばかりで、近年は譜面がネット上で公開されて楽譜へのアクセスが容易になりつつありますが、そのわりに取り上げられることはさほど多くありません。大半は田中信昭氏および田中氏の流れを汲む指揮者・合唱団による演奏です。
強い個性を持ち万人ウケとは違う方向を向いていることと、個性の根幹を成す思想や問題意識を受容するのに柔軟さが必要なことが、演奏頻度がそう高くない理由なのかなと思います。

本稿は「原動機 −文吾の日記」の「[合唱]第25回宝塚国際室内合唱コンクール感想 その3」でコメント申し上げたことに端を発しますが、あくまでも発端でしかなく、目的はせきが認識するところの《『「高橋悠治作品」的なもの》を整理してまとめることにあります。

追記(2011年5月)

文中、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の公式サイト内「演奏資料館」について触れた箇所がありますが、六連の演奏音源は2010年8月より現在まで公開停止中のため、該当箇所を抹消しておきました。

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