「第9回全日本男声合唱フェスティバル in 松本」参加記録、第1弾の続きです。
本記事は、合同演奏に相当する企画のひとつ・伊東恵司氏による「教室」に個人で参加してきたという報告です。タイトルの日付が第1弾と異なるのは意図したものです。なにぶんにも1年1か月以上前のできごとなので記憶が不鮮明になってしまっております。
このフェスティバルにおける教室がどういうものかは「2015/07/04・05の日記:第4回全日本男声合唱フェスティバルin京都(その2)広瀬康夫講座を受けてきました」冒頭に書きましたので(教室でなく講座と書いてますが意味は同じ)そちらを参照ください。
参加の動機とか背景とか
今回は、山脇卓也講師・広瀬康夫講師・伊東恵司講師(当日の発表順)のお三方による教室が企画された。山脇教室は木下牧子作曲「駱駝の瘤にまたがって」という13分の単一楽章曲、広瀬教室はバーバーショップのナンバー数曲、伊東教室は多田武彦作曲『わがふるき日のうた』(「多田武彦 男声合唱曲集 3」所収)より「Enfance finie」「木兎」「郷愁」「鐘鳴りぬ」「雪はふる」。『わがふるき日のうた』は大学3年次に北村協一先生の指揮で年度を通して取り組んだ経験があり音取りの不安は皆無だろうということで、せきは伊東教室を選んだ。
ほかにも重大な個人的動機がある。伊東先生が音楽監督を務める男声合唱団「えちごコラリアーズ」に私は創団から参加していた。いろいろあって今から11年ほど前に退団した。その「いろいろ」には発声法がらみの問題が含まれる。えちごコラリアーズ在籍中に書いた記事の繰り返しになるが、私は1992年に立教大学グリークラブに入って以来、同団およびOB男声合唱団で大久保昭男先生の御指導による発声法で歌い続けてきた。大久保メソッドはベース系の低音域で胸声を積極的に使わせることが特徴なのだが、伊東先生は少なくとも当時これを避けておられた。御本人は「ヘ音譜表の中にあるB2(ろ音)以下の低音では胸に落としても構わない」程度のマイルドな言い方にとどめていらしたけれど、実際のところ胸声を忌み嫌っていらっしゃる様子なのは伊東先生の薫陶を受けた団員の言動から早々に理解できた。とはいえ十数年間にわたり仕込まれてきた発声法を変えるのはゼロからの習得よりもずっと難儀で、えちごコラリアーズ在籍中の3年弱では成果を出せなかったけれど、そのあと様々な声楽体験を経た今なら伊東先生に受け入れていただけそうな歌声が出せるのではと己を試してみたくなったのだ。
7月13日:リハーサル
講師ご挨拶ののち、練習開始。まずは客席でウォームアップとして、伊東先生のガイドにより、音型を少しずつ変形させていく、だいぶ頭の体操っぽい要素が含まれた発声練習をした。
ウォーミングアップ後、合唱メンバーは舞台上に移動。多田武彦作品は組曲の全体像をつかむことが重要ということで『わがふるき日のうた』全7曲を最初に通して歌ってみる。私の大学時代に練習した記憶は概ね残っていることが確認できた。成果発表では歌わないことになっている第1曲「甃のうへ」および第2曲「湖水」も練習する可能性があると事前に配られた案内文書に記されていたのだが、それが頭になく戸惑う方々が若干名みられた。
伊東先生はウォームアップと組曲通し演奏により参加者の特性を把握したようで「よし、効率的な練習をするか」とつぶやいたのち、本編に突入。指導内容は、作曲者から生前いただいた御教示の紹介や、なにわコラリアーズが『わがふるき日のうた』を取り上げた際(2009年1月に行われた「ただたけだけコンサート」Vol.1が現時点で唯一の機会と思われる)に用いた演奏表現方法の実践などだったような。
『わがふるき日のうた』には第3曲「Enfance finie(過ぎ去りし幼年時代)」にバリトンソロが、終曲「雪はふる」にテノール独唱がある。「Enfance finie」の独唱に手を挙げたメンバーは5名だか6名だか7名だかで、その一人が私。休憩中、ソリスト立候補者が呼び集められ選考会が行われたが結論は立候補者全員によるソリとなった。私は日本語歌詞の捌き方に工夫を凝らす方針でバリトンソロを歌うつもりだったが、複数名で一緒にということになったため、自分が他のソリストに合わせやすくかつ他のソリストが自分に合わせていただきやすいことを重視して最大公約数的および最小公倍数的な歌い方に方針転換した。ソロパートの歌唱指導において、積年の課題だった発声について先生からは特に何も言われず(限られたリハーサル時間を有効活用するため発声がらみのことへは目をつぶることになさったのかもしれないけど)。なお、十何名もの立候補者が現れた「雪はふる」も同様に立候補者全員によるソリとなった。
練習は主催者が用意した電子キーボード JUSTYで進められたが、各曲を歌い始める際の音取りはピッチパイプのほうが良いよねという話になった。せきはちょうどピッチパイプを持参していたので、音取り役を申し出て仰せつかった。
休憩中、伊東先生にご挨拶。「若い参加者が少ないようで残念ですね」と申し上げたところ「若い層は他の教室に参加しているのだろうけど」というお返事。紋切型なことを軽々しく申し上げるものではないと反省した。
講習後、山脇教室・広瀬教室の方々が大ホールに合流し、聴きあい。山脇教室の「駱駝の瘤にまたがって」は楽譜を見た印象だと音を取り切れないまま本番を迎えるリスクが大きそうで敬遠したけれど(ベースはトップテノールとオクターブユニゾンで動くフレーズが木下作品の特徴という以上に多用されているので、せきが40代前半までなら挑戦していたかも)、その判断は正しかったことが確認でき、参加していたらしっかり歌っている他の皆様の足を引っ張ったろうなという感想。広瀬教室はバーバーショップ経験者が多いこともあり、実に楽しそうなパフォーマンスが繰り広げられた。
伊東教室について、ステージ上に並ぶ際、後ろに立つメンバー諸氏に前が見えるかどうか確認し、立ち位置をバリトン寄りからカミ手の端に変えた。
7月14日:コンサート本番
各合唱団の単独ステージについては記憶容量オーバーにつき割愛。
伊東教室の成果発表は大トリ。譜面を外しながらも前日リハーサル通りのことが大体できたのではと自負するところ。終曲の入りで伊東先生が音取りの合図を出しておられるかどうか確信が持てなかったのだが、約束は約束なのでピッチパイプを吹いた。この判断が適切だったか不適切だったか未だ不安でいる。