カテゴリー: 組曲「吹雪の街を」考

組曲「吹雪の街を」考 (5) I. 忍路

組曲「吹雪の街を」考 (5) I. 忍路

半月あいてしまいましたが、個別の楽章に関する話に入ります。
第1曲『忍路』は、まだ男声合唱団トルヴェールでは取り上げたことがなく、しばらくは練習予定もなさそうな楽章です。
この楽章について前回「組曲全体の導入」と記しました。組曲全体で繰り広げられる青春模様の舞台を紹介する役割の楽章(のように見受けられる)ということです。
『忍路』は次の5パートで構成されます。
   a1. スキー風景
(フェルマータつき語尾 + 普通の8分休符)
   a2. 冬山で眼下に忍路を望む
(フェルマータつき語尾 + フェルマータつき4分休符)
   b1. 夏の日中の風景
(フェルマータつき語尾 + 普通の8分休符)
   b2. 夏の月夜の風景
(フェルマータなし語尾 + フェルマータつき4分休符 → テンポが変わる)
   c. 忍路という街の紹介
aとbは、途中accel.やrit.やフェルマータが挿入されるものの、基本となるテンポは4分音符=約96で一貫しています。
また、a1の後半からa2にかけて一時的に転調するのですが(ただし調号は変わらず臨時記号だけでの処理)、場面がすぱっと転換するのではなく、短時間で色合いが移り変わっていく形です。
曲の起伏とダイナミクスの大小は正比例するのが一般的ですが、この曲では必ずしもそうとはいえません。
音量が最大になる場所はa1末尾の「jumping stopした」です。しかし、曲そのものの心臓部は、「表情豊かに」かつ「mezza voce」で終始するcにあります。
ダイナミクスが小さくなるほど想いが濃密になってゆくということでしょうかね。
aの部分は音で絵を描くみたいな雰囲気です。
a1の冒頭はTen. IとBas.のオクターブユニゾンで始まり、Ten. IIとBari.が割って入るという、多田作品にはあまりみられない書き方です。ちなみに、外声部のオクターブユニゾンに挟まれて内声部が違う動きをするのは、木下牧子氏の男声合唱作品でしばしば、松下耕氏の男声合唱作品で時々みられます。
Bari.とBas.のユニゾンで直滑降したのち、accel.しながらBas.→Bari.→Ten. II→Ten. Iの順で「次々に」たたみかけてゆき、a2に入って全パートがオクターブユニゾンで終始するという流れです。
b1はa1をやや簡略化した書き方、でしょうか。
a2とb2はずっとユニゾン(同音およびオクターブ)という点が共通しています。
b2に出てくる「通った」はトオッタと作曲されていますが、男声合唱団「ホクレングリーンコール」公式サイトの「練習日誌(随時更新)」に「文法的にも状況的にもカヨッタと読むべきだろう」という疑義が記されています。
ここで作曲者がトオッタという読みを選んだ理由を考えてみると、もしかすると兄弟作品にあたる組曲「雪明りの路」第3曲『月夜を歩く』との通底が念頭にあったからではという推測が浮かびます。
『月夜を歩く』には「通りぬけ」という動詞が2度ほど出てきます。通り抜ける場所はいずれも「忍路の街」です。
ちなみに、深沢眞二氏の著書「なまずの孫 1ぴきめ」によると、b2には『月夜を歩く』の曲想が引用されているのだそうです。
cでは4分音符=約76と、ややゆっくりなテンポに変わります。
aおよびbは語りの要素を前面に出して作曲されているのに対し、cは歌いの要素が強い部分です。もっとも、mezza voceという指定がある以上、朗々と声を張り上げるわけではありません。
詩の終わり「あったが。」に対応して、曲は半終止となっています。すなわち、曲がIの和音(階名でいうド-ミ-ソ)でなくVの和音(階名でいうソ-シ-レ)で締めくくられるということです。
組曲全楽章を続けて演奏する場合、次の楽章『また月夜』が『忍路』と同じホ短調であることも手伝い、この半終止から「『また月夜』は『忍路』の続きなのかな?」「『忍路』の最後に出てくる人物が、組曲を通して詩人が思いを寄せている相手かな?」という印象が生まれるのですね。
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組曲「吹雪の街を」考 (4) 楽章の流れ・構成

組曲「吹雪の街を」考 (4) 楽章の流れ・構成

「合唱曲集」と「合唱組曲」を比べると、「曲集」だと小品の集合体という色合いが表に出ているのに対し、「組曲」はあるテーマを軸に収録曲(楽章)が並んでいて、しばしば楽章の順序に何らかの物語性が込められているところに違いがあるものと、せきは認識しております(もちろん例外もありますけど)。
そして、多田武彦氏は「合唱組曲」にこだわり「組曲の構築性」という言い回しを用いることもしばしばある作曲家です。
組曲「吹雪の街を」は、次の順で楽章が並んでいます。

  1. 忍路
  2. また月夜
  3. 夏になれば
  4. 秋の恋びと
  5. 夜の霰
  6. 吹雪の街を

タイトルを眺めただけでも、なんとなく四季の移ろいに沿ったっぽい並び順なんだろうなという感じがしますね。
第3曲以降で描かれている季節はタイトルどおり。第2曲「また月夜」の舞台となっている季節は晩春〜初夏にあたる時期と思われます(詳しくは「(6) II. また月夜」の項で)。第1曲「忍路」では冬のひとこまと夏のひとこまが描かれています。
多田作品では、楽章を四季の移ろいに沿った順序に配列することで、組曲全体にひとつの物語性を持たせる作品がしばしば見られます。せきが出版譜を所有する組曲に限っても「雪明りの路」「雨」「尾崎喜八の詩から」「わがふるき日のうた」「季節のたより」「尾崎喜八の詩から・第二」「樅の木の歌」「ソネット集」「尾崎喜八の詩から・第三」「叙情小曲集」などがこのパターンです。
ところで、組曲「吹雪の街を」では、季節のほかにもう一つの流れがあります。
(2) 伊藤整におけるテクストの位置づけ」および「(3) 多田武彦におけるこの組曲の位置づけ」で、この組曲では思春期の恋愛模様がクローズアップされていると述べました。
ここで偶数楽章だけ取り出すと「片思い状態(恋愛の前段階) → 別離の予感(恋愛中) → 失った恋への未練」という恋物語が浮かび上がるのです。
自然界と心象風景をダブらせた詩作は伊藤氏に限らないのですが、それを巧みに組曲のサブストーリーにした多田氏の構成は見事なものと言えましょう。
そして、組曲全体の導入である第1曲と、内向的で重たい前の楽章の空気を和らげ和ませる第3曲と、いったん男女関係から離れて荒ぶる自然を勢いよく描く第5曲を取り合わせることで、組曲全体に緩急をつけているわけです。
蛇足その1。
今年1月のアンコンで、男声合唱団トルヴェールは組曲「吹雪の街を」から第2・4楽章を選んで演奏しました。
本番前日でしたか、tree2氏が音楽監督を務める混声合唱団「カンターレ」がトルヴェールに引き続き同じ部屋で練習するということで、カンターレの女声メンバー何人かが早めに来ておりました。
練習の最後のほうでゲネプロみたいな感じで2曲通して歌ったところ、聞いていた女声陣が一言「……暗い」。
蛇足その2。
初出の詩集での掲載順(「日本詩人愛唱歌集」内「伊藤整 詩一覧」を参照)と、組曲「吹雪の街を」および「雪明りの路」での詩の並び順とを見比べると、異同があります。組曲における楽章の配列は、作曲者の創意によって再構築されたものなのです。
もっとも、詩集『雪明りの路』に収録されている詩群は、連作詩という意識で書かれたものではないようです。序文の中盤にこんな記述があります。

この詩集は或は一つのストオリーを追っているかも知れないが、それは私が編纂して了うまで気付かなかったものである。
作品の配列は主として制作の年代によったので、類同その他のことを少し考慮したに過ぎない。

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組曲「吹雪の街を」考 (3) 多田武彦におけるこの組曲の位置づけ

組曲「吹雪の街を」考 (3) 多田武彦におけるこの組曲の位置づけ

多田氏は2009年3月現在、伊藤氏の詩に作曲した4つの男声合唱組曲「雪明りの路」「緑深い故郷の村で」「吹雪の街を」「雪明りの路・第二」を発表しています。「吹雪の街を」はその中で3番目にあたります。これら4組曲はすべて詩集『雪明りの路』からテクストが採られた、いわば兄弟作品です。
多田武彦〔タダタケ〕データベース。」の「吹雪の街を」紹介ページからリンクされている「初演時の作曲者コメント」「解説」によると、〈多くの男性が若いころ経験するあの淡い青春の感傷と心の痛み〉や〈詩人の青春の清らかな慕情〉に焦点を当てているとのことです。
ちなみに、組曲「雪明りの路」では北海道の風景という観点からまとめられたものです。残り2つの組曲については、せきは何か書けるほどの知識・情報を持ち合わせておりません。
〈詩に寄り添って作曲する〉ことをモットーに掲げる多田氏は、テクストに忠実に、思春期ならではの悶々としたものまでも組曲「吹雪の街を」で描きました。結果、あの年頃のうぶで朴訥で自意識の強い恋愛模様を反映した美しさをたたえつつも、多田作品にしてはカタルシスが抑制された内向的なサウンド傾向となっています。
難解な音ということではないんですが、直球のタダタケ節とも違う。ソルフェージュがしっかりした人にとっては譜読みの困難が少ない反面、感覚的に音取りをする人にとってはつまづきそうなポイントが多いように思われます。
ところで、「多田武彦〔タダタケ〕データベース。の「作品リスト」には、多田氏の全組曲タイトルが発表順に並べられています。
印象的なのは「吹雪の街を」の後に続く組曲として「蛙・第二」「水墨集」「草野心平の詩から・第二」「中原中也の詩から・第二」などなど、保守的な作風という多田氏のイメージを裏切るような部分を含む作品が並んでいることです。ここには、「雨」の第4曲が諸事情で差し替えになり、新たに書き下ろされた『雨 雨』も含まれます。
多田氏は自らの活動歴を、主にプライベートな事情による休筆期間などを境目にして、いくつかの期(ステージ)に分けています。そして「吹雪の街を」は“第3期”に書かれた組曲です。
第3期に入ってからの多田氏は、実験的な試みを取り入れようとする傾向が強まっているように見受けられます。「吹雪の街を」より前の組曲でも、「尾崎喜八の詩から」ではフーガっぽい『牧場』という曲を書いたり、「わがふるき日のうた」の『木兎』という曲ではヴォーカリーズ「woo」でシンコペーションを多用したり、「冬の日の記憶」の終曲『南無ダダ』では大半が5拍子だったり。
「吹雪の街を」そのものにはことさら目新しい試みはなさそうに思われますが、こうした時期に書かれた組曲であるという事実にかんがみると、直球のタダタケ節とは一味違うサウンド傾向なのもむべなるかなという感じがします。
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組曲「吹雪の街を」考 (2) 伊藤整におけるテクストの位置づけ

組曲「吹雪の街を」考 (2) 伊藤整におけるテクストの位置づけ

テクストの詩は、すべて詩集『雪明りの路』から採られたものです。
十代後半、伊藤整少年は少なくとも2人の女性と恋愛を経験しました。この時期に書かれた詩には、その恋愛体験を題材としたものが多く、組曲「吹雪の街を」はそういう詩を中心に選ばれています。
そして21歳で、伊藤青年は、詩集『雪明りの路』を上梓しました。編集過程で、詩人は十代半ばから書き溜めてきた詩をまとめて読み直し、それを踏まえて詩集の序文をこう締めくくります。

此処に集められたものを見ていて私は涙ぐんでしまった。
何もかもが其処から糸をひくように私に思出されるのである。
之が今までの私の全部だ。
なんという貧しさだろう。
幾年もの私がこんな小さな哀れなものになって了った。
私はまた之からこの詩集を懐にして独りで歩いて行かなければならない。
頼りないたどたどしい路を歩いて行かなければならない。
私を呼んでいるものが、待っているものがあるような気がするのだ。
では左様なら。
愛惜きわまりない、稚い年月の私の夢よ。
其処に絵のように浮いてくる人々よ。

そう、詩集『雪明りの路』は、詩人にとって自らの思春期を総括し、甘酸っぱくほろ苦い青春から卒業するきっかけとなった存在なのであります。
(序文の全体は北海道中央タクシー株式会社の公式サイト内で読めます)
この詩集を出してまもなく伊藤氏は大学に進み、生活の拠点を北海道から東京へ移し、文芸活動の場を詩から小説や評論へシフトさせてゆくのでした。
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組曲「吹雪の街を」考 (1) 目次・前置き

組曲「吹雪の街を」考 (1) 目次・前置き

【目次】

【前置き】
しばらく、伊藤整作詩・多田武彦作曲の男声合唱組曲「吹雪の街を」をめぐり、断続的に書き連ねてみます。
きっかけは男声合唱団トルヴェールで練習中の曲が含まれていることです。読者をトルヴェールの団員諸氏に限定するつもりはないので、まだ練習・演奏していない楽章についても書きます。指揮者(トルヴェールだとtree2氏)の解釈に立ち入るような記述はなるべく避ける方針で進めます。
各項目それぞれ単独でも読めるよう書いたので、ところどころ項目間で記述がだぶってます。あしからずご了承を。
この組曲についての基礎データは「多田武彦〔タダタケ〕データベース。」の「吹雪の街を」をご覧くださいませ。
なお、当ブログでは個別の詩についての解説は最小限にとどめます。
そちらの方面にご興味のある方は、深沢眞二氏の著書『なまずの孫 1ぴきめ』をおすすめいたします。(組曲「吹雪の街を」のテクストとなった詩については「III 愛と整—『雪明りの路』『吹雪の街を』を歌うために—」という章で詳細に記されています)

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