声楽家・評論家・合唱指揮者である畑中良輔氏が本日5月24日お昼に亡くなられました(47NEWSによる記事)。一部報道によれば、死因は間質性肺炎とのことです。どうぞ安らかに。
畑中先生の功績は大勢の方がお書きになるはず。ここでは些少ながら、先生とせきとの御縁について胸に残る限りを記すことにします。
せきが畑中先生のタクトで歌ったことは一度だけあります。2007年2月24日に行われた「北村協一追悼演奏会 LOVE。」最終ステージ、メモリアル合唱団の混声曲「Gott Meine Zuversicht (Psalm 23)」(Franz Peter Schubert作曲)です。よろめくという単語を表現しようという指導が特に印象に残ってます。
畑中先生は、1985〜1987年と1989〜1991年の計6年、わが出身団体である立教大学グリークラブ男声合唱団を指揮しておられました。1992年入学の当方は残念ながら御指導いただく機会がなかったのが立教グリー現役時代の心残りのひとつだったもので、「北村協一追悼演奏会 LOVE。」は遺憾を晴らすことができて嬉しかったですね。
のち、2006年にもう一度、畑中先生が立教グリーを指揮する機会がありました。北村先生追悼として開かれた定期演奏会の最終ステージ、現役OBOG合同の混声版『水のいのち』でした。この演奏会、せきは客席で拝聴しておりました。
せきが畑中先生の音楽に接した最初の記憶は、1994年の「Around Singers The Second “詩華集”」で演奏された男声版『水のいのち』で、客席で衝撃を受けました。このときの模様は東芝EMIからCDで市販されたのですが、久しく入手困難なようで……。
以降、実演や録音などで様々な演奏を聴いてきましたが、大胆な解釈が加わったステージを含め、説得力は唯一無二だった演奏ばかりという印象です。特に、前述のアラウンドシンガーズが最初期に演奏した『柳河風俗詩』は、同じ組曲をOB男声合唱団で歌うにあたって聴きまくりました。
男声合唱は、混声合唱や女声合唱に比べるとレパートリーの少ない点が否めません。その解決策は様々ですが、畑中先生が主に用いたアプローチは「独唱曲集やオペラナンバーの男声合唱編曲(編曲を務めたのは順不同で、福永陽一郎氏、北村協一氏、清水脩氏、青島広志氏、藤森数彦氏、佐渡孝彦氏ら)」でした。
せきはかつて、さまざまな歌を男声合唱にアレンジして遊んでいた時期がありました。そのうちのひとつに、セザール・フランク作曲の独唱曲数曲があり(フランス歌曲のアレンジが多い北村先生への追慕を込めた)、何かの演奏会レセプションだかで譜面を持参して畑中先生に見ていただこうとしたのですが果たせなかったことがあります。あのときが畑中先生と直に言葉を交わした唯一の機会だったでしょうか。