2016年のゴールデンウィークも泊まりがけで上京し演奏会を2公演ハシゴ。当記事では、その第一弾について。
昨年5月3日と同じく「Tokyo Cantat 2016」のコンサートの一つ「やまと うたの血脈 VII 大和の和は 平和の和 そして太平 〜三善晃からの伝言〜」を聴いてきた。サブタイトルが長いので本記事の題名では割愛。
ひとことでいうと三善晃作品の個展。ただ、たとえば「2014/05/25の日記:花いっぱい音楽祭 2014 〜響き合う三善ワールド」などとはスタンスが大きく異なり、戦争や生と死とつながりのある作品だけに絞ったプログラムであった。
会場がある錦糸町に着いたのは13時半過ぎ。すみだトリフォニーホールのチケットセンターで予約していた入場券を受け取り、近くで昼飯をいただき、しばらく錦糸公園に佇んだりホテルで休んだりして時間を潰す。
開場時刻の16時半過ぎ、すみだトリフォニーホール大ホールの入口には結構な行列ができていた。客席は出演者用の座席がキープされており、それを除くと8割前後の入りといったところか。せきは最初1階席を見たが空席探しが難しく、2階席のカミ手寄りで拝聴。
- 2群の女声合唱、1群の男声合唱、2台ピアノのための「夜と谺」
- 作歌:宗左近
指揮:藤井宏樹/合唱:合唱団樹の会/ピアノ:斎木ユリ、浅井道子
1996年に合唱団「弥彦」が初演した曲。宗氏がずっと描いてきた第2次世界大戦、特に東京大空襲で炎の中に母を置き去りにして云々という題材による和歌11首がテクスト。吹き上がり続ける火柱といった感じの演奏だったと思う。
藤井氏が指揮する三善作品をいくつか聴いて抱いている共通した印象としては、カオスの混沌たる要素が強調され、そこがエネルギーの強さにつながっているような感じ。
- 女声合唱とピアノのための『虹とリンゴ』
- 作歌:宗左近
指揮:野本立人/合唱:熊遊舎女声合唱団
- 原初
- 夏
- シャボン玉
テキストは、鈴木輝昭氏や大田桜子氏が作曲するようなタイプの、平易な言葉でどことなく幻想的な詩。生や死のにおいはするが、一見すると戦争とは縁が薄そうなテクストに見える。でも三善氏が作曲すると、宗氏のテクストによる他の三善作品と同様の世界が立ち現れる。宗氏の詩集・歌集ではしばしば共同制作者のひとりとして三善氏のお名前が記されており、すなわち三善氏は宗氏の作品世界を最も深く理解する創作者のひとり。「虹とリンゴ」はそんな三善氏にしか書けない曲といえよう。
演奏は、楽曲の持つ陰影が的確に描かれたもの。童声では表現できない、おとなの女声ならでは。ちなみに委嘱・初演団体は国立音楽大学女声合唱団ANGELICAで、2003年作曲、翌年初演。
- 混声合唱とピアノのための「その日 -August 6-」
- 詩:谷川俊太郎
指揮:雨森文也/合唱:CANTUS ANIMAE/ピアノ:平林知子
2007年作曲・初演。三善氏の合唱作品の中で、おそらく最後に書かれたもの。今回の演目の中で唯一せきが生演奏を聴いた経験のある曲(前に聴いたのは、富山で行われた全日本合唱コンクール全国大会)。
演奏は、テキストの言葉を丹念にたどって表現したもの。昨年の六連で慶應ワグネルが雨森氏の指揮で演奏した『遊星ひとつ』などから爆発的な演奏を予想していたのだが、予想は好ましい方向で裏切られた。あたかも、ヒロシマの原爆が落ちた場に居合わせなかったことから生じる作詩者・作曲者の苦悩を追体験するかの如し。
- 男声合唱のための「王孫不帰」
- 詩:三好達治
指揮:清水敬一/合唱:男声合唱団70/ピアノ:小田裕之/木鐘:加藤恭子/スレイベル:村居勲
インターミッションを挟み、ここからは1970年代前半に作られた曲が特集された。
演奏団体は今回のために結成されたもの。楽曲誕生の1970年と、企画を知った2015年が戦後70年にあたることから命名された。
Eの単音から始まり、能楽の歌いくちに沿って拡大や分裂をしながらクライマックスに達し、再びEの単音に収束していくつくりの曲。その拡大やら分裂やらを忠実に再現し、幽玄を保ちつつ奥底に潜む激しさを表出させるという趣の演奏。
この曲、せきは録音でクール・ジョワイエや法政大学アリオンコールの演奏を聴いたことがあったが、生演奏は前述のとおり初めて。
蛇足。新実徳英作曲『祈りの虹』第III楽章には「王孫不帰」に通じる要素が散見される。
- こどものための合唱組曲『オデコのこいつ』
- 詩:蓬莱泰三
指揮:前田美子/合唱:むさしのジュニア合唱団“風”/ピアノ:平 美奈子
- おまえはだれだ
- なんだったっけ
- ゆめ
- けんか
- なぜ?
歌詞にも出てくる「ビアフラ」は今や註釈が必要そうなものだが、パンフレットにはどこにも説明がない。楽曲について予備知識がある人や、わからない単語を自力で調べようという人がターゲットの演奏会ということかしらん。
ちなみにビアフラとは1960年後半アフリカ大陸に3年ほど存在したビアフラ共和国のことで、ナイジェリア内戦により多くの国民が飢餓に追い込まれたうえでナイジェリアに併合された。その模様が「ぼく」のおでこの中に現地人らしき子が棲みついたという形で描かれている。
ややこしい音をすっきり消化し、童声ならではの澄みきった音色が題材の残酷さをうまくコントロールした演奏であったように思う。
気になったのは曲間の音取りのタイミング。曲終わりの余韻がさめないうちに次の曲頭の音を取り、でも実際に次の曲を歌い始めるまでの間合いが妙に長く、聴いていて少々戸惑った。
- レクイエム
- ピアノリダクション:新垣隆
指揮:栗山文昭/合唱:栗友会合唱団/ピアノ:斎木ユリ、浅井道子
- I
- II
- III
気迫と熱に満ち溢れた170名ほどの合唱に終始ひきつけられた。
曲の形態は1990年代後半に作られた男声合唱曲「いのちのうた」に通じるものがあるが、「いのちのうた」は言葉の紆余曲折を通して生を描くのに対し「レクイエム」は声そのものが持つ力をぶつけて死を描く音楽だと思った。
- 鳥(混声合唱のための「地球へのバラード」より)
- 詩:谷川俊太郎
指揮:栗山文昭/合唱:合同演奏/語り:野本立人
アンコール的な1曲。栗友会合唱団以外の歌い手はフロアの壁に沿い客席を囲むようにして演奏した。
いちおう救済といえば救済とも聴くことのできる曲調。ただ、ここでも「銃声」が語りの中ではあるが登場する。語り手のお名前はパンフレットには記載なし。
超重量級の曲ばかりで硬派なプログラムだったが、聴き疲れは少なく、むしろ栄養を補給していただいたような感すらある。
出演者・スタッフ・来場者の皆様、お疲れ様でした。