2024/03/24などの日記:長岡市立劇場開館50周年記念 東京フィルハーモニー交響楽団 長岡特別演奏会

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今年はじめて出演したステージ「長岡市立劇場開館50周年記念 東京フィルハーモニー交響楽団 長岡特別演奏会」について。

2023年のMY合唱ライフまとめ」などで触れたことと若干の重複がある旨、お断りしておきます。演目はこの演奏会の出演告知記事などを参照ください。


2015年(平成27年)より、新潟県長岡市および公益財団法人 長岡市芸術文化振興財団は、公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団と事業提携を結びました。これにより、年何回か東京フィルハーモニー交響楽団(以下「東フィル」と略)が長岡市に来て、特別演奏会やコミュニティコンサート(地域住民や小中学校の児童生徒を対象にした小規模なステージ)を開催しています。その一環として、長岡市立劇場開館50周年記念事業の締めくくりに、公募合唱団を結成して東フィルと共演するという特別演奏会が企画されました。

この企画について少々ためらうところはあったものの、最終的に「ヴェルディやマスカーニのオペラナンバーをオーケストラと共演するのは貴重なチャンス。私自身が参加したいくらい」という、佐藤晶子先生(オペラ「てかがみ」で御縁ができ、昨年の長岡市民音楽祭でもご一緒した声楽家)のお誘いに応えることにしました。

案内チラシを見て驚いたのは、練習ピアニストに野間春美先生のお名前があったことでした。全日本合唱コンクールやTokyo Cantatなどに興味のある人なら、古橋富士雄先生が指揮する合唱団や、CANTUS ANIMAEなど雨森文也先生がらみの合唱団を通して御存知かと思われます。合唱指揮を務める駒井ゆり子先生と時々お仕事をしておられるようで、そこらへんのつながりなのでしょう。ちょうど昨年11月に新潟市中央区で全日本合唱コンクール大学職場一般の部の全国大会が開催され、私はスタッフとして参加することが間際になって決まったので、宙に浮いてしまった購入済み入場券をCANTUS ANIMAEのどなたかにお譲りできないか図々しくも野間先生にお願いしたりなどしました。


公募合唱団は「長岡フェニックス合唱団」という名前です。コロナウイルス騒動の時期は活動休止を余儀なくされていたところ、今回の企画のために再始動しました。

メンバーは120名ちょっと。公募なのですが長岡市民限定ではありません。東京近郊から法政大学アカデミー合唱団OBOG有志(長岡市民合唱団と共演したことのあるつながりらしい)が三十名ほど参加してました。また、全日本合唱コンクール大学職場一般の部の全国大会でスタッフをご一緒させていただいた御方(新潟市近郊だか県央地域だかを拠点にしておられる)がバスにお二方ほどいらっしゃいました。

長岡市民だと「てかがみ」や少し前の長岡市民音楽祭でご一緒した方々が若干名。また私を合唱の世界に導いてくださったおひとりである幼稚園時代の恩師(園児だった当時からの園長先生)が参加しておられました。

法政大学アカデミー合唱団OBOG有志の中には、福永陽一郎先生が生前さまざまな媒体に書き残した文を集めた「CONDUCTOR 福永陽一郎」という本を編集した鎌田雅子さんがいらっしゃり、ひょんなことからこの文集を頂戴しました。

私は練習期間の途中で50歳になりました。でも、長岡フェニックス合唱団の男声としては恐らく最も若輩。昨年の長岡市民音楽祭では年長組だったこととは随分な落差です。こうした年齢層分布は、長岡市の合唱事情を端的に物語っているような気がします。


合唱団の練習は長岡リリックホールのコンサートホール舞台上で主に火曜日の夜に行われました。当初は19時から21時までの枠でしたが、2023年最後の練習から30分延長され21時半終了となりました。もっとも、延長前は21時を少し回って練習が終わったあと事務連絡および椅子の消毒スプレー噴霧・片づけという流れだったのが、延長後は21時半頃に椅子の消毒スプレー噴霧・片づけ終了となったので、正味の延長時間は十数分でした。

駒井ゆり子先生のレッスンは発声や口型にポイントを絞り込んだ単純明快なご指導で、歌い手を褒めて伸ばすアプローチを軸に進められました。私が大学時代にご指導を受けたDag先生こと大久保昭男先生のベース系に対するメソッド(特に口型。横開きをなるべく避け、イ母音をいわゆる豚口で発音させたり、エ母音をドイツ語のaウムラウト「ä」みたいに発音させたりするあたり)と共通する部分が多く、懐かしさとともにすんなり理解できました。

とはいえ、駒井先生と合唱団が馴染むまでにそこそこの日数を要したのですが、両者の間でコミュニケーションを取り持ったのが野間先生の稽古ピアノだったように思います。

合唱は女声が優秀でした。男声は遅れをとり、練習途中で合唱団に加わることになった佐藤晶子先生から早速「男声だけ補習をしたほうがいいんじゃないですか」と言われるありさまでした。御意見を踏まえ、もともと月2回の練習だったものが、男声は全体練習のない週に自主練習が追加され、2月だけ毎週の練習となりました。自主練習といいつつも練習会場の手配などは長岡市芸術文化振興財団が全面的にバックアップしてくださいました。追加練習の甲斐あってか、男声は本番が近づくにつれて仕上りにスパートがかかっていたように思います。


ようやく歌う各曲の全体像を俯瞰できるようになったのは本番の半月ほど前だったでしょうか。3月12日は駒井先生+野間先生による練習最終日。その次が本番前々夜、本番を指揮するアンドレア・バティストーニ先生直々の合唱稽古でした。

通訳さんを介してのリハーサルは合唱歴30年超にして初体験。マエストロはイタリア人ですが、全編ほぼ英語で進められました。駒井先生による補足説明もあったかな。リハーサルはとても濃密で、私は持てる集中力をフル回転させました。マエストロは駒井先生と同じく歌い手をノセながらリハーサルが進みました。

本番前々夜は合唱とピアノだけの稽古でしたが、この日からピアニストが和田那月先生に交替しました。和田先生は稽古ピアノの経験が少なそうだったぶん、リハーサルを通して様々なことを吸収していた様子でした。

翌日(本番前日)はオーケストラとの合わせ。この日もリハーサルはアップテンポで進み、当初アナウンスされていた予定よりも1時間ほど前倒しで合唱団は解散となりました。なお、リハーサル後のダメ出しで「凱旋行進曲(歌劇『アイーダ』より)」の一部について歌詞の入れ方が変更された箇所がありました。本番が譜持ちでよかった。


本番当日。14時開演で、午前中Generalprobeでした。この日だけテノールにエキストラが6名ほど加わりました。

私が会場入りしたのは朝9時ちょっと前。楽屋には東フィルによる差し入れの御菓子が並べられていました。また、長岡市立劇場開館50周年ということで、記念品として大ホールの緞帳をデザインしたチケットケースと、長岡市立劇場の建物の形を簡略化した台形のメモ帳が出演者に配られました。

長目の休憩時間、法政大学アカデミー合唱団OB諸氏の近くに座ったので、私が立教大学グリークラブOBであると名乗ったところ、北村協一先生、髙坂徹先輩、AROUND SINGERSなどの共通項でお話することができました。


本番は満員御礼、20枚ほど出た当日券も完売。熱量あふれるステージができたものと思います。当日の事はXでいろいろポストしたのですが、2024年3月24日のTwilog2024年3月28日のTwilogあたりを参照ください。

アンコール曲として、ヴェルディ作曲「Va, pensiero 行け 黄金の翼に乗って(歌劇『ナブッコ』)よりを歌いました。実はこの曲、三十年ちょっと前の高校生時代、地元の第九に参加していたときアンコールとして歌った経験があります。高校生のとき第九はバスパートを歌っていたのですが「行け 黄金の翼に乗って」だけテノール下を歌っていたことが、このたびの練習で判明しました。従って今回はパート移動で音の取り直しをすることになりました。

終演後、駒井先生、和田先生、合唱団がロビーに集まり、ノンアルコール飲料で乾杯とともに解団式を行いました。マエストロも途中いらっしゃいました。セレモニー中、長岡フェニックス合唱団の団長さんが「マエストロと駒井先生を長岡フェニックス合唱団の名誉指揮者としてお迎えしたい」などとスピーチしておられました。

これにて演奏会はお開き。解散後は場を移して打ち上げを催した有志もいらっしゃったようですが、私はまっすぐ帰宅しました。


さて、またまた佐藤晶子先生からお誘いをいただき、オーケストラと共演する合唱団に引き続き参加することとなりました。あと4週間ほどで本番を迎えます。詳しくは日を改めてご案内します。

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