研究者および合唱指揮者として中世・ルネサンス音楽を日本に根づかせた皆川達夫先生が本年4月19日に亡くなられました(クリスチャンプレスによる訃報)。
皆川先生は、わたくしの出身団体・立教大学グリークラブの名誉部長です。わたくしが大学1年生だった1992年度まで立教大学文学部キリスト教学科の教授でした。残念ながら授業を受講した経験はありませんでしたが、立教大学グリークラブ指揮者としていただいたご指導のおかげで、わたくしにとってはルネサンス音楽への扉が開かれました。
皆川先生といえば、歌い始めを指示する際におっしゃる「いちとお、にいとお、にゃん」や、マルカートに三角形を描く3拍子の指揮などが印象に残っています。2003年6月22日に行われた第24回立教大学グリーフェスティバルOBOG合同ステージ、石丸寛編曲による無伴奏童謡集の練習では「石丸先生が夢枕に立っておっしゃったことには」という説明で突如それまでの練習でやっていたことと違う解釈をなさったこともありました。
立教グリーでの皆川先生の練習では、ブレスは「バラの香りやステーキの匂いをかぐように」、フレージングは「絹のスカーフをふわっと広げるように」「蜘蛛の糸を手繰り寄せるように」といった、専門用語を使わない言語表現でのご指導でした。一同が楽曲に慣れてくる頃合いで、歌い手を同じパートが隣り合わないよう壁沿いに一列の環で並ばせるアンサンブル練習(カクテル、スパルタ、シャッフルなどと呼ばれていた)を行うこともしばしばでした。この練習では中央の指揮者に向かって歌うことが主でしたが、指揮者に背中を向けて外向きの環でという練習もたまにありました。
練習は比較的短時間に終わることが多かったように記憶しております。歌い手を疲弊させないようにというご配慮があったのかもしれません。
皆川先生の指揮で初めて歌ったステージは、学部1年生だった第83回立教大学グリークラブ男声定期演奏会の第1ステージ「Missa Pange Lingua」。最後のステージとなったのは2003年11月、立教大学グリークラブOB男声合唱団第2回リサイタルの第1ステージ「Missa O Magnum Mysterium」およびアンコール「St.Paul’s will shine tonight」。
立教大学グリークラブの定期演奏会は長らく皆川先生が指揮する「神共にいまして」がクロージング曲でした。ただ、第83回立教大学グリークラブ定期演奏会は皆川先生が立教大学教授最後の年度ということで、女声・男声とも「神共にいまして」のほかに皆川先生のアンコール曲が用意されていました。男声定期演奏会のアンコールとして皆川先生が取り上げたのは、宮島将郎編曲によるビートルズナンバー「OB-LA-DI, OB-LA-DA」。ドラムスとの共演でした。ステージリハーサルでは北村協一先生の発案で合唱に簡単な動きがつけられました。皆川先生は練習でもステージリハーサルでも普通に指揮者として進めておられましたが、本番ではピエロの衣装で登場、舞台上で踊ったり腕立て伏せをなさったりしました。これは合唱団員もキャプテンしか知らなかったサプライズの趣向だったそうです。
皆川先生はワインに造詣が深いことでも知られています。立教グリーの演奏会では、団から贈呈されたワインをレセプションで先生御自ら披露・解説することが恒例になっていました。
皆川先生と最後にお目にかかってご挨拶したのは、2017年11月26日。東京芸術劇場で行われた全日本合唱コンクールを中座して立教大学池袋キャンパス第一食堂で行われた立教グリーOB会総会に出席しました。引き続き懇親会もありましたが総会だけで失礼し芸劇に戻る道中、懇親会でスピーチするため立教大学に向かう先生とすれ違い、二言三言立ち話をさせていただきました。
最後に皆川先生のお姿を見かけたのは2018年7月1日に行われた第39回立教大学グリーフェスティバル。終盤、恒例の「神共にいまして」をお振りになりました。お元気そうなご様子でしたが、杖をついて登場したり椅子に腰かけてタクトを振ったりなさったことが気にかかりました。それまでは出席しておられたレセプションにもいらっしゃらなかったため、ご挨拶申し上げたかったのですが叶いませんでした。
2019年2月9日、「ルネサンス・ポリフォニー選集」出版記念コンサートが開催されました。この演奏会について詳細は近日中に当ブログでリポート記事を書くつもりですが、皆川先生がらみのオフトピックだけ先にここへ記しておきます。
立教グリーファミリーの先輩が何名か来場しておられ、ご挨拶とともに「本日ご出演予定だった皆川先生、いらっしゃらないのですね。どうしたのでしょう?」と申し上げました。OB会長は「間際までは出演するおつもりだったそうだけどね」とのお返事でした。一方、OB男声合唱団指揮者のおひとりである前川和之先輩は「あなた何故それを知ってるの?」と怪訝そうなお返事だったので「会場の入り口に『体調不良のため本日出演できなくなりました』という告知の張り紙が出てましたよ」と答えたら了解した様子でしたが、わたくしとしては何やらいろいろあるのかもしれないと察するところがありました。
そのあとも月刊『致知』取材手記などの記事が出ましたし、今年3月いっぱいまでNHKラジオ「音楽の泉」にご出演でしたので、前述のやりとりで引っかかったものは杞憂かなと思っていた矢先、訃報に接しました。
改めて、皆川達夫先生におかれましては多くのご指導をいただき大変ありがとうございました。どうぞ安らかに。