カテゴリー: 鑑賞の感想

Nコン2010 – I ♥ ×××(アイ・ラヴ)

Nコン2010 – I ♥ ×××(アイ・ラヴ)

第77回NHK全校学校音楽コンクール中学校の部の課題曲について。

数日前にNコン公式サイトで歌詞が発表されたとき、唖然とする人や「だから大塚愛はダメだと言ったのに」みたいな拒絶反応を示した人が結構いました。

せきはそういう声を黙って傍観しておりました。テクスト単品で読むなら文学的価値を認めがたいコトバでも曲が付くことで生命が吹き込まれる事例は世の中にごまんとあり、作品の良しあしを判断するのは完成品を聴いてからでも遅くなかろうと判断したからです。

まあ一応、傍観中は表に出さなかった、せきが歌詞だけ見た時点での感想も書き留めておくと。

大塚愛のヒット曲はぶっ飛んだ表現が印象的なものが目につくんですけど、実は愛(作詞・作曲では名字なしでこの名義)氏が書く歌詞って英単語の利用は控え目な傾向があるんですよね。

なので、やたら「I ♥ ×××」に横文字が多いのは意図的なものなんだろうなと認識しております。

フジテレビ系バンクーバー五輪中継イメージソング『LUCKY☆STAR』と語彙の重複が多いのも事実なわけですが、姉妹作として狙ったものか単なる二番煎じかは判断しかねます。

「XXX」は英語では卑猥な伏せ字としても使われるだの「lover」は愛人って意味もあるだのという理由から中学生が歌うにはふさわしくないという評も見かけましたが、昨年度の高校の部の課題曲「青のジャンプ」が飛び降り自殺を推奨するみたいな歌詞だとかいうのと同じで、つまらない言いがかりでしょう。「×××」は卑猥じゃない単語の伏せ字として使われることもあるし、「lover」は恋人という意味で使われることもあります(例:ミュージカル「New Moon」の代表曲かつジャズのスタンダードナンバーである「Lover Come Back to Me」)。

ひとつ疑問なのは、この歌詞のどこにテーマ「いのち」が登場するのやらということです。番組で流れた作詞・作曲者のVTRコメントに「いのち」という語句は出てこず、この疑問は解消されませんでした。

作者コメント

作詞・作曲者:愛(大塚愛)氏
  • 「“愛”は自分の名前に使われていることもあり、生まれてからずっと大切なテーマ」
  • 「愛はいちばん手に入れるのが難しいもの」
  • 「中学生の皆さんには、どれだけ自分が幸せに囲まれていて幸せをつかんでいるか、今ある好きなものを歌にして自分の幸せを再認識してほしい」
編曲者:上田真樹氏
  • 「(参考演奏の実演を聞いて)包み込むようなあったかい演奏だった」
  • 「この曲はメロディが魅力」
  • 「三十何回も歌われる『I LOVE YOU』を、合唱でしか出せないような表現で歌ってほしい」

曲全体に関するせきの感想

編曲者が「いただいた曲はメロディが魅力」とおっしゃっていた通りで、詞が曲と組み合わさると、何ら抵抗も違和感もない、一つの歌として成立してますね。どっちかというと、シングルのカップリング、もしくはアルバムだけに収録されるタイプって曲のような気もしますけど。

そして、上田氏のアレンジは、原曲の持ち味を生かしつつ、各パートに見せ場を与えたり掛け合いを用いたりなどの技を駆使することで合唱曲としても聴いて歌って楽しいものになっていると思います。

近年だとポップス畑の人による課題曲は作者自身がセルフカバーするのが通例になっていますが、セルフカバーが今回の合唱版を超える説得力を持つには、かなりアレンジのハードルが高いのではないでしょうか。

技術面では発音・発語、具体的にはポップスでありがちな細かいリズムでの歌詞にしばしば出てくる促音と英単語の処理が難しそうです。

大谷研二先生が指揮した演奏では冒頭でハスキーな声色を用いてました。おそらく指揮者の演出だろうと推測しますが(かつて大谷先生の指揮によりスペシャルステージでポップス編曲を歌ったときにそういう指示をしたことが根拠。はずれてたらごめんなさい)この曲には似つかわしくないように聴こえました。


2010/08/01付記:曲の終わりのコード進行について間違ったことを書いてしまったので、関係する一文を消しました。ついでにタグを追加し、「×××」と「lover」について加筆。

Nコン2010 – いのち

Nコン2010 – いのち

第77回NHK全校学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲について。

手稿譜で練習しているシーンでは、団員さんたちが難しさに四苦八苦していました。

一同が揃って鍵盤ハーモニカを吹いて音を取る(あるいは、試しアンサンブルの代わり?)風景には驚きました。

浄書譜ができると、パックンマックンのマックンができたての譜面を合唱団に届け、おそらくその場で、作曲者と譜面編集者が立ち会っての練習が行われ、いくつかダイナミクスなどを直していました。

作詞者・作曲者が立ち会っての練習風景も流れ、そこで谷川氏が詩を朗読する場面や、団員の問いかけに谷川氏が答える場面がありました。鈴木氏に対しても質問があったものの編集でカットされたようです。

作者コメント

作詞者:谷川俊太郎氏
  • 「〔作曲者との打ち合わせで〕いのちの多様性を歌いたい。たとえば大きな象と小さな蟻の対比などで多様性を象徴した」
  • 「〔練習での試演を聞き〕ダイナミックでスケールが大きい、言葉が立ち上がって空へ飛び立ったみたい」
  • 「〔マックンからの質問に答え〕いのちとは波動、かたちあるもののもとにある目に見えない波動的なもの。波動が動物・植物・人間になると考えれば広く考えられるのでは」
  • 「〔合唱団員からの質問『《いのちをうたう》とは?』に〕あなたもいのちでしょ? いま歌ってたじゃん。そういうあなたのことだと思っていいんじゃないの?」
作曲者:鈴木輝昭氏
  • 「雄大な詩。生命の始まりから今現在わたしたちが生かされている連鎖、悠久の時の流れを、エネルギッシュに、光のほうへ進む輝きをイメージして作曲した」
  • 「作曲にあたっては詩の言葉やニュアンスを取り込んで音楽という形にしている。音そのもの(旋律、ハーモニー、ピアノ)が投げかけるものへ忠実にアプローチすれば、演奏者の個性は自然に表出される」

曲全体に関するせきの感想

音を聞いただけの印象ですが、近年の課題曲の中では技術的に一二を争う難しさでしょう。特に冒頭のヴォーカリーズと、ラストに出てくるハイトーンと、ピアノ。

大雑把に言って、作曲者が詩から読み取った「悠久の時の流れ」が主としてヴォーカリーズに、エナジーが主として歌詞のある部分で表現されているように思われます。

ただ若干ひっかかるのは、とても細かいポイントですが、トビがくるりと空を飛ぶのってあんなにせせこましくないのでは。

楽曲は良くも悪くも鈴木輝昭ふうです。

せきが連想したのは『ハレー彗星独白』の表題曲や、鈴木氏の師匠に当たる三善晃作品で『ゴリラのジジ』など。

また、曲の末尾に三善氏の『バトンタッチのうた』終盤、合唱だけになるLargamenteの箇所(全パート縦割りで歌う「♪ゆーうせーいはー」)以降をくっつけたくもなりました。

参考演奏から女声版・混声版・男声版の3種類を比べると、混声版が突出して演奏効果がよいと思います。

女声版と男声版はクラスター性が前面に出てしまい、なんかゴチャっとしてるような。

オーケストラ 生まれる 〜コバケンとその仲間たちスペシャル2010〜

オーケストラ 生まれる 〜コバケンとその仲間たちスペシャル2010〜

本日午後にNHK教育で放映された「オーケストラ 生まれる 〜コバケンとその仲間たちスペシャル2010〜」を視聴しました。

コバケンとは小林研一郎氏。日本を代表する指揮者のお一人で、オーケストラが有名ですが、合唱もお振りになります。わが出身団体・立教大学グリークラブを何年か指揮したこともある人です。せきは早稲田大学グリークラブとの共演を生で聴いた経験があります。

そのコバケン氏の呼びかけでプロアマの演奏家が集まって障碍を持つ人・持たない人が混じったオーケストラを結成し、今年3月7日に「こころコンサート 〜コバケンとその仲間たちスペシャル2010〜」なるコンサートを開催しました。この舞台裏を撮影したドキュメンタリーの話です。

番組は、団員3人の物語を、ひとりずつ追いかける形でした。

ひとりは集中力が続かないバイオリン奏者。

ひとりは視力を失ったトロンボーン奏者で、「誰も寝てはならぬ」でソロ(原曲はテノール独唱なのを金管で)を吹くにあたっての悪戦苦闘ぶり。

ひとりは母親と二人三脚で活動してきたクラリネット奏者が、母から離れて挑む本番。

バイオリン奏者とクラリネット奏者はオーケストラ初参加だったようです。逆に、トロンボーン奏者はソロで表現・演奏することが初体験とのことでした。

本番の模様は断片的に紹介された程度ですが、成功裡に終わったようですし、せきが見る限りでも生き生きとした演奏だと思いました。

番組を見て感じ入ったのは、合わせもの(アンサンブル)の難しさと、その難しさを克服させた音楽の魅力および他団員によるサポートの力でした。

これが特に前面に出ていたのがバイオリン奏者のくだりで、練習がはかどらない危機意識により急遽ミーティングが開かれ、これがきっかけでパート内でサポートしあい、みなが心を広げることでオーケストラが一つにまとまっていくさまが描かれていました。

寄せ集めによる演奏集団にはせきも参加したことがあります。時系列順に、高校時代の第九、アラウンドシンガーズ、新潟ユース合唱団、北村協一先生追悼コンサートでのメモリアル合唱団、オペラ「直江の婿えらび」。

この手の寄せ集め集団にはコアとなる組織があるものですが、コア組織の部外者みたいな形で参加すると、溶け込んでいく上でハードルがあるのですよね。

でも、コバケンとその仲間たちオーケストラは、そういった困難を高い次元で乗り越えたように見えました。参加者の中にはアンサンブルに必要な協調性に支障をきたすという自閉症のメンバーもいたようで、なおさら凄いと思います。

いち合唱人として、敬服をおぼえた番組でした。

第8回新潟県アンコン 他団体に対する感想

第8回新潟県アンコン 他団体に対する感想

去る2010年1月24日に開催された第8回新潟県ヴォーカルアンサンブルコンテスト「一般の部」の演奏を拝聴しながらメモしたことを、ちょっと整理して、僭越ながら開示します。
長文ですが何卒ご容赦を。
なお、ウムラウトやアクセントが付いたアルファベットとか、いわゆるハシゴ高とかは、携帯電話などで正しく表示されないことがあるので、略したり別の字に置き換えたりしています。

女声アンサンブルiris 〔金〕

MY BONNIE(Traditional / 松永ちづる編)
I GOT RHYTHM(George Gershwin / 松永ちづる編)

出番待ちの舞台袖で聴かせていただいた。「合唱人の優等生」的な演奏。この路線だったらリズム隊(コーラスとのバランスを考えればジャズピアノだけでも。ドラムスやウッドベースもいれば理想的だけど)とセッションするとさらに面白くなりそうな気がする。

合唱団KKY 〔銅〕

Ave Maria(松下耕)
守る(「子猫物語」より;松下耕)

曲想の変化に応じてサウンドの表情が的確に変わる。ウ母音で声が引っ込むのと、フレージングが「守る」みたいに単語・文節単位でなく「ま-も-る」みたいに1音符単位に聞こえたのが引っかかった。

合唱団Lalari 〔金〕

Corran di puro latte(Luca Marenzio)
Piagn’e sospira(Claudio Monteverdi)

いきいきしていて、いかにもイタリアのルネサンスマドリガルらしいサウンド。アルトはもっと存在感をアピールしてもよかったんじゃなかろうか。

Iride 〔銀〕

Osanna!(Henrik Colding-Jφrgensen)

うまい人たちだとは思うんだけど、今回の音色は、テクストの内容や曲想の動きとの連動が薄いように聞こえた。

カンターレ 〔銀〕

あじさいの花(「愛と慈しみと 〜6つの愛唱曲集」より;新実徳英)
時計台(「愛と慈しみと 〜6つの愛唱曲集」より;新実徳英)

歌詞を丁寧・繊細に表現しようとしていたのは感じ取れた。ヴォーカリーズなどで音が動いて和音が移ろってゆくのにつれてサウンドの色彩感や輝きが変化すると、より魅力が増すと思う。

アンサンブル ロゼ 〔金〕

月の光 その二(「月夜三唱」より;三善晃)
北の海(「三つの抒情」より;三善晃)

合唱・ピアノ、どちらも単独では素晴らしいけど、合わさったときの音量バランスがちと残念。どっちの曲も「合唱をバックにしたピアノソロ」って感じの箇所があり、合唱が高揚してフォルテ系になるところでようやくピアノと対等になったように聴こえた。

グルポ・カントール 〔銅〕

あの空へ 〜青のジャンプ(大島ミチル)

この曲は、作曲時の想定ターゲットである高校生よりも、中学生が歌うほうが持ち味が生きると感じた、そんな説得力がある演奏。姿勢がもったいない。背中が丸まり気味で、胸郭や肩に無駄な力が入っているように見えた。High-chestを心掛けて歌うと音楽の届く範囲が広がりそうな予感。

Choir Sprout 〔銅〕

Ave Maria(Vytautas Miskinis)
Cantate(Vytautas Miskinis)

審査員の片野秀俊先生が全体講評で指摘しておられたラテン語の発音は、特にこの団体で気になった。たとえば、gratiaの「ti」がツィでなくチに聞こえたり、benedictaの「c」が聞こえなかったり。ただ、全体に子音の溶解・摩耗傾向があるように聞こえたので、発音の憶え違いではないのかもしれない。声は前に飛んでるし、音色も曲想にふさわしいと思うのだが……。

アンサンブル「夕凪」 〔銀〕

合掌 ——さる(「内なる遠さ」より;高田三郎)
燃えるもの ——蜘蛛(「内なる遠さ」より;高田三郎)

クライマックスでの劇的な表現はまさしく熱演。ただ、高野+高田作品としてはストイックさ(作曲者の随想集を読むとよく分かる)が薄いように感じたし、何より語頭の子音が聞きとりにくかったのが高田作品らしくない。

合唱団YEN 〔銀〕

そらまめ(「やさしさに包まれて」より;松下耕)
ごきぶり五郎伝(「やさしさに包まれて」より;松下耕)
くちなし(「やさしさに包まれて」より;松下耕)

こっちさん(cockroachの略?)自ら書いておられるように、プログラムの中では3曲目との相性がベストだったと思う。1曲目については、譜面として初出の「季刊 合唱表現」で作曲者が添え書きしているメモが参考になるんじゃないかなあ。2曲目ではトルヴェールのお株を奪われたような感じがした。

以上に記載のない団体は当方が聴いてないということです。
せきが楽屋からホールロビーに移動したとき、アンサンブル「夕映」さんの演奏中でしたが、最後の曲だけをスピーカー越しに聴いた次第ゆえ、コメントは差し控えます。

2009/10/24の日記(その2)

2009/10/24の日記(その2)

第1回にいがたコーラスアンサンブルフェスティバルに出演した団体のうち、よそ様のステージについて勝手にいろいろと記してみます。

○ カンターレ

無伴奏混声合唱のための「シャガールと木の葉」(北川昇)より「I. 歩く」「II. あお」
男声は全員トルヴェールのメンバー、女声に新潟ユース仲間が若干名。
実演に接したことが2度ほどあるが、今までの記憶とは段違いに精度の高い演奏。
「シャガールと木の葉」は1年近く付き合ってきた曲らしい。せきは北川作品自体初体験だが、歌い手がハマるのも、それだけの力を持つ曲であることも、演奏を聴いてよくわかった。

○ 4 colate

「Matona mia cara」(O. ラッスス)
「ロマンチストの豚」「鴎」(木下牧子)
新潟大学室内合唱団メンバーによる混声カルテット。
ラッススは縦割りの曲で「よくまとまってる」という程度の印象。木下作品の掛け合いが混ざるくだりで「女声、特にソプラノが凄いんだ!」と気づく。男声2名も合唱のアンサンブル職人として素晴らしいのだが、カルテットなら個性をもっと表に出してもよかったんじゃないかなあ。

○ 女声アンサンブルiris

「Ave Maria」(G. P. da パレストリーナ)
「さくら」「一番星見つけた」(編:信長貴富)
「Drei geistliche Choere」op.37(J. ブラームス)※「oe」はoウムラウト
指揮者tek310氏のもとに、合唱好きで実力豊かな合唱歌手が集った団。前述した4 colateのソプラノさんもメンバー。
サウンドの純度は出演団体中白眉。県の2009年アンサンブルコンテスト代表に輝いたのも納得。
名島先生からの講評を聞き「ああ、新潟ユース合唱団もこういう雰囲気のサウンド(純度は及びも付かないけど)なのだな」と思った。

○ 合唱団NEWS

「いっしょに」「サッカーによせて」(木下牧子)
「Stabat Mater dolorosa」「Laudate Dominum」(U. シサスク)
混声アカペラ版「地球の歌」(佐藤さおり)
新潟ユース合唱団でご一緒したメンバーが何人かいるご縁で、せきは演奏会に一度おじゃましたことがある。
4 colateの木下作品と比べると、音色の暖かさ・やわらかさが印象に残る。
オンステ人数は1パート3人前後だったかな。この規模だと合わせに行こうとするあまり小ぢんまりしがちなように思われるが、NEWSは一人一人がのびのびアンサンブルしているのが興味深かった。
合唱団NEWSの講評のあと、指揮者氏が「わが団におすすめの、外国の現代作品を紹介して欲しい」と名島先生に尋ねた。先生は、海外現代作品の源流といえるものとして、コダーイやバルトークの名前を挙げていた。
名島先生が答えを探すのを見ながら、せきも一緒になって投げかけに対し考えてみた。部外者で僭越ながら申し上げますと、貴団のトーンにはイギリスの作品が似合いそうな気がいたします。洋物に疎いので作曲家を羅列する程度ですが、ジョン・ラターとかヴォーン・ウィリアムズとかエルガーとかホルストとかの方面です。