「どのことばよりも」攻略にあたってのメモ

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せきが混ぜてもらっている合唱団Lalariでは、約1年ほど牟礼慶子作詩/森山至貴作曲「どのことばよりも」に取り組んできた。ステージで歌ったのは現時点で、2021年11月3日に行われた「第17回 三条市音楽祭」合唱の部と、2022年6月18日に行われた「第63回 新潟県合唱祭」の2回。

また合唱団Lalariとは別に、2021年12月25日に個人で参加した「うたいびとの忘年会2021」でもこの曲を歌った。

こうした経験を通して演奏のブラッシュアップにつながるのではと感じたことなどを、まとめて記す。なおこの曲は混声合唱版(私が歌ったのはこの編成でのみ)、男声合唱版、女声合唱版の3種類が存在するが、特定のバージョンに特化した記述は避けるつもり。


演奏可能な人数

出版譜の前書きに作曲者が《4人から400人までどんな規模の合唱団でも歌えるよう、無伴奏四部合唱、div.なしで作曲してあります》と記しておられる通り。

合唱団Lalariが取り上げたときの人数は、第17回 三条市音楽祭ではSATB=1:1:1:2、第63回 新潟県合唱祭ではSATB=1:2:1:2。確かに演奏に人数的な支障は感じられなかった。

ただ、新潟県合唱祭のときは、27〜28小節目と40小節目のSopranoパートソロについて、2名いるAltoのうちの片方に加勢してもらった。Sopranoとしてはやや低めな音域が含まれていてバランス的に埋もれやすいからである。この箇所は男声合唱版(Tenor II)や女声合唱版(Soprano II)でも合唱団によっては同様の配慮をするとよいかもしれない。

人数にかかわる事柄のもう一点は、フレーズの持続性。もちろん息の長いフレージングで演奏できるほうが望ましい。細切れなフレージングでも音楽は成立するけれど、次の項目に書くような課題にぶち当たりやすくなる。

テンポの中だるみ対策

この曲の練習で悩まされたポイントのひとつは、前半から中盤にかけてどんどんテンポが遅くなっていく現象。しかもこの現象が起こると音楽が中だるみしてダレてしまう。試行錯誤の結果、以下の4点に配慮すると指揮者なしでもテンポを保ちやすいという感触を得た。

1点目は、しばしば登場する8分休符で音楽を止めないこと。休符を見るとついつい腰を下ろしたくなってしまうけれど、この曲でそれをやるとてきめんに間延びしテンポの遅れを招く。

2点目は、語頭の子音に時間を掛け過ぎないこと。特に「染められた」「空」のサ行。一般論として語頭を立てるには息のスピード(もしくは圧力)と所要時間の2種類アプローチがある。使い分け方は曲によって異なるが、この曲については息の圧力を強くして短時間に子音を処理し語頭全体をハッキリ発音するアプローチが適しているように思われる。

3点目は、5小節目のヴォーカリーズの入りを揃え、先行するパートソロに小節頭のタイミングを合わせること。ここがグダグダになるとテンポが乱れやすくなる。

4点目は、練習番号Bの手前できちんとテンポを戻すこと。譜面ではa tempoと指示されているが、ルルルのパートはun poco più mossoとかcon motoとかのつもりで歌い始めると中だるみが抑えられて丁度よいと思った。

和音

森山作品には和音の取り扱いに意味や主張を持たせる曲が散見される。たとえば「シシリアン・ブルー」における様々な「青」とか、男声合唱界でみられやすいと思われるハーモニー観に《喧嘩を売るつもりでアレンジした》という「’O sole mio」とか。

この曲も例に漏れない。派生音(臨時記号)やテンションを積極的に用いたコードワークで色彩の移ろいを表現しているように見受けられる。ピッチやバランスに留意しつつ適切に和音をはめて歌えると理想的である。ただ、ある程度ハーモニー作りのスキルを持ち合わせた指導者やメンバーがいないとドツボにはまりやすい。そういう練習が難しいなら協和音程の組み合わせというアプローチから切り崩していくのも一案であろう。

なお、男声合唱版や女声合唱版は、恐らく音域的な事情で、混声合唱版に比べ和音が少しばかり単純化されている。

半音進行

前述の派生音に関連することで、この曲には半音で動く断片が散見される。この半音進行により、和音の連なりが繊細さをもつものになっているように思う。

中でも特記すべき箇所は、最低声部(混声合唱版と男声合唱版ではBass、女声合唱版ではAlto II)が32〜38小節目で6小節半にわたってAs-G-Ges-F-Fes-Es-D-Des-Cと半音階で下降していく点。

その他、ひとつのアイディアとして

練習番号Cの中盤以降、27〜32小節目は、パートソロ(32小節目「そして」は2声)とヴォーカリーズという組み合わせになっている。ダイナミクスの変化やテクストを歌うパートの受け渡しで色合いが変わることが意図されているのだろう。

ただ、この箇所はヴォーカリーズを歌うパートが何らかの工夫をするほうが音楽の説得力は増すように思われる。合唱団Lalariが新潟県合唱祭で再演したときは、29〜31小節目の「U」はそこまでと音色を違え、やや「O」に近づけた発音で、より深い響きで歌うようにした。

更に混声合唱版固有の事情として、30〜31小節目ではTenorのパートソロ後半「とする」とBassが同音を歌うように書かれている。ここはBassが配慮しないと主旋律の邪魔になりかねない。Bassの私がとった解決策として、母音をTenorに寄せた発音にした旨を記しておく。

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