せきが混ぜてもらっている合唱団Lalariでは、一昨年から岸田衿子作詩/津田元作曲「うたをうたうのはわすれても」(同題の混声合唱曲集の終曲)に取り組んできた。ステージで歌ったのは現時点で一昨年11月3日の三条市音楽祭の一度きりだが、昨年出演を辞退した新潟市の市民交流ステージで予定していた演目のひとつでもあったし、改めての再演も視野に入れている(実際どうなるかは未定)。
足掛け1年半以上この曲とつきあっているわけだが、かねてからいろいろ感じるところがあるので、2018年4月29日付けで投稿した記事「プーランク作曲『クリスマスの4つのモテット』攻略にあたってのメモ」に倣って記す。
演奏可能な人数
息の長いフレーズは皆無だし、音域はさほど広くないので、1パート1声でも演奏可能。男声4部版にはdivisiがないため演奏できる最少人数はカルテットということになる。
混声4部版(オリジナル)は曲の最後だけBassが2部に分かれる。
女声3部版はMezzo SopranoとAltoにdivisiがあるが、分かれるのは別々の箇所なので、バランスなどを工夫すればカルテットでも演奏は一応できる。ただ、作曲者の意図を組むなら各パート2名以上のほうが望ましいのであろう。
拍節のアンサンブル
この曲で最も厄介なポイントは「半拍のズレ」だろうと私は思う。14〜15小節の「目に」と、25〜28小節付近のくだり。ずっと4分の3拍子で終始するものの、同じ歌詞でもパートによって拍の強弱や裏表が入れ替わるので、歌っていて器楽的な印象を受ける。
解決策は、どこで全パートが揃うかをチェックポイントにした上でズレる箇所については慣れるまで我が道を行くという、身も蓋もない方法ぐらいしかなさそう。
転調
一般論として、調や和声が変わることによって音楽の色合いが変わる。この曲もその典型。
この曲は調が変わるごとに調号も変わるのだけれど、実は一部のパートだけ先行して次の調に変わるのが特徴のように思われる。
たとえば、17小節でE-durに変わるところについて、混声版・男声版はBass、女声版はMezzo Sopranoによる三全音が転調を導く。そのあとD-durに変わるところも同様で、直前の小節で混声版・女声版はSoprano、男声版はTenor Iによるヴォーカリーズ「A」が21小節からの転調を導く。
そのあとF-durに転調するくだりについて、譜面では54小節から調号が変わるが、実質的には53小節から転調していて、転調のブリッジにあたるそのヴォーカリーズ「A」は52小節2拍目の混声版・女声版はSoprano、男声版はTenor Iから始まる。
練習で転調後の楽節だけ抜き出すとき調号が変わった直後の小節から歌いがちだけど、抜き出すなら転調を導くフレーズから始めるほうが自然であろう。少なくとも合唱団Lalariで練習していたとき、できる限り私はそう要望してきた。
フレーズの切れ目
この曲にはスラーが用いられていない。
ヴォーカリーズやハミングは音引きの線でフレーズ単位が分かるが、歌詞のある箇所はそういうわけにはいかない。
ここで目印となるのがブレス記号(括弧で括られた箇所も含む)。もちろんヴォーカリーズやハミングについてもブレス記号は重要なヒントとなる。フレーズ終わりのあと休符という場合はブレス記号がないので、他パートを見る等で判断することになる。息が続くからブレス記号のある箇所で息継ぎをしないことも可だろうけど、そこで表現を切り替えるほうが好ましいように私は思う。
ちょっと気になるのは、女声版41〜45小節のMezzo Soprano。Tempo Iにはブレス記号がなく(Sopranoにだけある)、次の小節の「のべの」の前で括弧ブレスが記されている。混声版で同じ役割のAltoはSopranoと一緒にブレスするよう記譜されているし、男声版で同じ役割のTenor IIもTenor Iとと一緒にブレスするよう記譜されている。ここは検討を要するかもしれない。
なお、混声・女声合唱曲集『うたをうたうのはわすれても』の他の曲では部分的にスラーが出てくる。