カテゴリー: 薀蓄や個人的見解

「IV. 鎮魂歌へのリクエスト」その2: ジャズとの関連

「IV. 鎮魂歌へのリクエスト」その2: ジャズとの関連

「鎮魂歌へのリクエスト」はブルースのスタイルで書かれている珍しい合唱曲です。
もっとも、ジャズやブルースを取り入れた合唱曲はこの曲が初というわけではなく、日本人作品でも先例があります。せきが実演に接したことがある曲だと、三善晃作品(「ひとこぶらくだのブルース(『動物詩集』第2曲)」「見えない縁のうた(『遊星ひとつ』第2曲。木島氏の詩)」など)と、高嶋みどり作品(「婆さん蛙ミミミの挨拶(『青いメッセージ』第3曲)」「わたしが一番きれいだったとき(『女の肖像』第2曲)」など)が思い浮かぶところ。
ただ、ジャズやブルースを取り入れた他の合唱曲には現代音楽につながる理屈っぽい匂いが感じられるものが少なくないのですが、「鎮魂歌へのリクエスト」は徹底的に大衆音楽としてのジャズをしてるというのが、個人的印象です。
初演演奏会のパンフレットによると、信長氏はそれまでジャズをあまり知らず、この詩に作曲するにあたってジャズのCDを聴き込み「面白いな、なんか使えそうだな」と思ったとのこと。
詩にはジャズのスタンダードナンバーが2曲出てきます。《セント・ルイス・ブルース》と《セント・ジェームズ病院》です。
いずれの曲もYouTubeに演奏が何種類も投稿されていて(検索キーワードには、原題の「St. Louis Blues」および「St. James Infirmary」を推奨)聴き比べると面白いです。
「St. Louis Blues」については、その旋律が「鎮魂歌へのリクエスト」間奏部に口笛で引用されていますが、そこでの曲想を先入観にもって「St. Louis Blues」を聴いたら驚きました。実はラグタイムの代表曲だったりして、アップテンポな演奏が多いのですね。
詩の主人公が葬送曲として望んだこの曲を聴けば、Langston Hughes氏が死に対してどういう考えを持つか見えてきそうな感じがします。日本人は死に対してどこかウェットで暗黒なイメージを持ちがちですが、この詩で垣間見える死生観はポジティブですね。かつて黒人霊歌と呼ばれていたジャンルの歌にみられる「死 = 現世からの逃避」よりもさらにポジティブ。ただ、キリスト教的な「死 = 主の御許に召される」とは方向性が違うように思います。
「鎮魂歌へのリクエスト」に雰囲気が近い曲は、どっちかというと「St. James Infirmary」のほうでしょう。
この曲には歌詞が付いてます。
前半は、聖ジェームズ病院に行った男が、そこで彼女が死んでいるのを見て嘆き悲しむという趣旨。ちなみに、一説によると、聖ジェームズ病院は精神病院らしいです。
後半はさまざまなバリエーションがあるんですが、その中には「自分ほど素晴らしい男は他にいない」「僕が死んだら、彼女には僕へ○○して欲しい」など、「鎮魂歌へのリクエスト」と相通ずるフレーズを含むものも存在します。
【2009/08/21追記】
出版譜の旧版では口笛のくだりに「※“St. Louis Blues”より引用。」と明記されていましたが、改訂版の譜面(混声合唱版)にはこの注釈がありません。

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「IV. 鎮魂歌へのリクエスト」その3: 参考資料・関連リンク

「IV. 鎮魂歌へのリクエスト」その3: 参考資料・関連リンク

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組曲「吹雪の街を」考 (10) VI. 吹雪の街を

組曲「吹雪の街を」考 (10) VI. 吹雪の街を

組曲の終曲は、ある青春恋物語のエピローグでもあります。
「十九の年に見た乙女」は、第4楽章『秋の恋びと』のお相手と同一人物。伊藤氏自身による小説『若い詩人の肖像』には重田根見子の名で登場し、のちの研究で本名が根上シゲルと判明した女性です。
結局は程なくして根見子(シゲル)さんと別れてしまったのですが、伊藤青年は根見子(シゲル)さんを忘れられず、『秋の恋びと』から1年たった冬に彼女の住む余市郡余市町の街を未練がましく徘徊するさまを描いたのがこの詩です。
恋の顛末については深沢眞二氏の著書『なまずの孫 1ぴきめ』を。
第1楽章『忍路』と同じホ短調、その曲で愛しの乙女が出てくるくだりとほぼ同じ「4分音符=約80」のテンポ(厳密にいえば『忍路』後半は「4分音符=約76」でほんの少しゆっくりですが)で作曲されています。
第1楽章と終楽章が同じ調性というのは多田作品にしばしばみられ、組曲を円環としてかたちづくる効果があります。その上、テンポ感や、旋律線のリズムパターンが似通っているのですから、一つの物語の終わりという印象は倍加します。
冒頭でBas.のパートソロによって提示され、次いでtuttiで繰り返される音型は、そのあとTen.I→Ten.IIのパートソロでもバックコーラスとして歌われ、さらに曲のラストでBas.のパートソロ→tuttiが再現されます。
スラーが付けられていますが、これはスラーが付けられた範囲を1フレーズで歌えという指示ではなく、スタッカート記号と合わせて「メッツォスタッカート(もしくはメゾスタッカート)」を意味します。スタッカートは音符の長さを本来の半分で演奏するという指示。メッツォスタッカートは普通の音符とスタッカート付き音符の中間なので、理論的には「3/4倍の長さ」ということになります。
「柳河風俗詩」第2楽章『紺屋のおろく』にスタッカートとテヌートを混ぜたような表情記号が出てきますが、あれとほぼ同義ですね。
なお、多田氏は、フレージングの単位を示す意味でスラーを使うことは基本的にやらない作曲家です。
「いずれ別れる」〜「涙となる 涙となる」まで、詩に沿った起伏によるダイナミクスの変化を伴い、甘い恋の思い出に浸りつつ慟哭します。
前5楽章まではタダタケ節が控えめだったところに、曲の半分ほどを費やして延々とタダタケ節が続くのですから、ここはあたかも組曲全体のサビを歌っているかのような感覚が味わえます。
ただ、詩が未練がましさたっぷりですから、ハーモニーの美しさに酔いしれることはできても、それはカタルシスには結びつかないわけで。
サビで高ぶった思いは、Ten. I→Ten. II→Bari.→Bas.と音域が低くなりながら受け渡されるパートソロで鎮まってゆきます。主人公の思いが内向化してゆく、ということなのでしょうか。
もとの詩はこの部分で終わるのですが、楽曲では冒頭を再現するコーダが付け加えられて終わります。恋を求めた青春の歩みはまだまだ続く、ということなのでしょうか。
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組曲「吹雪の街を」考 (9) V. 夜の霰

組曲「吹雪の街を」考 (9) V. 夜の霰

組曲の中では唯一、女のにおいが全くしない楽章です。荒ぶる自然を描くことにより、『夏になれば』とは違うアプローチで、それまでの楽章から空気を変える効果を狙ったものでしょう。
1997年度・第50回全日本合唱コンクールの課題曲M3として選定されたことがあるので、20代後半以降でコンクールに興味を持つ合唱人には、他の楽章より馴染みがあるかもしれません。
8分の6拍子には、とうとうと流れるような雰囲気の歌が多いというイメージがあります。有名どころでは、連作交響詩『わが祖国』第2曲『Vltava』の第1主題(「モルダウ」の名で独唱や合唱に編曲されているアレ)、『早春賦』『仰げば尊し』『みかんの花咲く丘』などなど。合唱曲だと、新実徳英作曲『鳥が』とか、荻久保和明作曲『IN TERRA PAX』(組曲の表題曲)とか。
でもこの『夜の霰』は、流れるような雰囲気とは異質な曲想。作曲家によっては3連符を多用したノーマルな2拍子として記譜する人もいそうです。
組曲全体を通して半音進行が多用されていることは別の項目でも指摘していますが、その傾向がもっとも分かりやすいのがこの曲目です。いきなりG4(一点ト音)から始まるTen. Iの歌いだしとか、Bari.・Bas.「がいとうのひだにひだに」とか、内声パートが2連符で主旋律を歌うくだりでのBas.とか。
セブンスやディミニッシュの和音が多いのでハモった快感は味わいにくいですが、フォルテ系のダイナミクスが中心ですし、音域もやや高めなので、「声を出した」という原始的な感覚は強い楽章のように思います。
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組曲「吹雪の街を」考 (8) IV. 秋の恋びと

組曲「吹雪の街を」考 (8) IV. 秋の恋びと

詩の冒頭で、晩秋の歌であることがわかります。
秋を描いたd-moll(ニ短調)の男声合唱曲といえば、なんといっても堀口大學訳詩・南弘明作曲「秋の歌」(曲集「月下の一群 第1集」より。混声合唱版もある)。物憂き悲しみをたたえた曲想は「秋の恋びと」に通じるものがあります。
多田武彦作品でd-mollで秋の歌だと、せきが思い浮かぶのは「やがて秋…」(男声合唱組曲「ソネット集」第4曲)なんですけど、こちらはメランコリックではあるものの初秋〜中秋が舞台です。
譜面を眺めると、やたら16分音符が続いていて、しかも符尾が拍単位でつながっておらず音節単位で切り離されているので(かつてはそれが正統とされていたわけですが)、リズム読みしづらいと感じる人もいそうです。
これは多田氏がしばしば使う、parlandoなrecitativoの効果を狙った書き方です。具体例は、「かきつばた」(組曲「柳河風俗詩」第3曲)中盤の「けえつぐり(中略)ちい消えた」に始まり、「父が庭にいる歌」(組曲「父のいる庭」第1曲)や、組曲「蛙」の第2〜4曲や、「甃のうへ」(組曲「わがふるき日のうた」第1曲)や、「夜ふる雪」(組曲「東京景物詩」第6曲)などなどなど。
この書法は、歌舞伎、能、狂言、文楽などのような、多田氏が影響を受けたと自ら公言する古典芸能の「語り物」のエッセンスを取り入れたものと思われます。
16分音符が連なるフレーズを含む声楽曲の多い作曲家には高田三郎氏もいます。高田氏も、自らの書くparlandoな旋律は語り物の流れを汲むものであると著書『来し方』などに記しています。
なお、高田作品についてはグレゴリオ聖歌の自由リズムから影響を受けた部分もあるのですが、こちらについて多田作品にあてはまるかどうかは存じません。
詩の字面だけを追うと、恋愛相手が自分に対して一線を越えてくれないことにもどかしさを感じているように読めます。
ただ、伊藤氏自身がのちに著した小説『若い詩人の肖像』によると、この時期には重田根見子なる女性と交際していながらも、イエイツによる一節「秋が来た。木の葉は散り、君の額は蒼ざめた。今は別れるべき時だ」を思い起こし、別れの予感に独り酔いしれていたところだそうです。
自らの恋愛と重ね合わせている詩は、William Butler Yeats「The Falling of the Leaves」と思われます。原詩はたとえば「The Lied and Art Song Texts Page」などを、その和訳は「ケペル先生のブログ: イギリスの秋」を参照。
それを前提に「秋の恋びと」を読み返すと「The Falling of the Leaves」の影響がありありと見て取れますね。
伊藤氏はこの詩人にたいそうな影響を受けたようで、詩集『雪明りの路』に収められた詩には「Yeats」というタイトルの作品もあります。
曲はテナー系vs.ベース系の2部合唱が骨組みになっていて、ベース系のユニゾンから始まったフレーズにテナー系が乗っかったり、テナー系のあとをベース系が追いかけたりという部分が多いです。4声揃って縦割りにハモる部分は全体の4分の1弱。
テナー系のあとをベース系が追いかけるくだりは、ベース下の自分にとって、フォルテで張り上げたくなる音域なのにメゾフォルテ指定、しかも先行するテナー系を潰さないように歌わないといけないので、若干の欲求不満をおぼえるところです。
サウンドは耽美的でありつつも歌うときのカタルシスが少ないのは、「(3). 多田武彦におけるこの組曲の位置づけ」の繰り返しになりますが、詩を忠実に音像化する多田作品ならではといえましょう。
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