カテゴリー: 薀蓄や個人的見解

組曲「吹雪の街を」考 (3) 多田武彦におけるこの組曲の位置づけ

組曲「吹雪の街を」考 (3) 多田武彦におけるこの組曲の位置づけ

多田氏は2009年3月現在、伊藤氏の詩に作曲した4つの男声合唱組曲「雪明りの路」「緑深い故郷の村で」「吹雪の街を」「雪明りの路・第二」を発表しています。「吹雪の街を」はその中で3番目にあたります。これら4組曲はすべて詩集『雪明りの路』からテクストが採られた、いわば兄弟作品です。
多田武彦〔タダタケ〕データベース。」の「吹雪の街を」紹介ページからリンクされている「初演時の作曲者コメント」「解説」によると、〈多くの男性が若いころ経験するあの淡い青春の感傷と心の痛み〉や〈詩人の青春の清らかな慕情〉に焦点を当てているとのことです。
ちなみに、組曲「雪明りの路」では北海道の風景という観点からまとめられたものです。残り2つの組曲については、せきは何か書けるほどの知識・情報を持ち合わせておりません。
〈詩に寄り添って作曲する〉ことをモットーに掲げる多田氏は、テクストに忠実に、思春期ならではの悶々としたものまでも組曲「吹雪の街を」で描きました。結果、あの年頃のうぶで朴訥で自意識の強い恋愛模様を反映した美しさをたたえつつも、多田作品にしてはカタルシスが抑制された内向的なサウンド傾向となっています。
難解な音ということではないんですが、直球のタダタケ節とも違う。ソルフェージュがしっかりした人にとっては譜読みの困難が少ない反面、感覚的に音取りをする人にとってはつまづきそうなポイントが多いように思われます。
ところで、「多田武彦〔タダタケ〕データベース。の「作品リスト」には、多田氏の全組曲タイトルが発表順に並べられています。
印象的なのは「吹雪の街を」の後に続く組曲として「蛙・第二」「水墨集」「草野心平の詩から・第二」「中原中也の詩から・第二」などなど、保守的な作風という多田氏のイメージを裏切るような部分を含む作品が並んでいることです。ここには、「雨」の第4曲が諸事情で差し替えになり、新たに書き下ろされた『雨 雨』も含まれます。
多田氏は自らの活動歴を、主にプライベートな事情による休筆期間などを境目にして、いくつかの期(ステージ)に分けています。そして「吹雪の街を」は“第3期”に書かれた組曲です。
第3期に入ってからの多田氏は、実験的な試みを取り入れようとする傾向が強まっているように見受けられます。「吹雪の街を」より前の組曲でも、「尾崎喜八の詩から」ではフーガっぽい『牧場』という曲を書いたり、「わがふるき日のうた」の『木兎』という曲ではヴォーカリーズ「woo」でシンコペーションを多用したり、「冬の日の記憶」の終曲『南無ダダ』では大半が5拍子だったり。
「吹雪の街を」そのものにはことさら目新しい試みはなさそうに思われますが、こうした時期に書かれた組曲であるという事実にかんがみると、直球のタダタケ節とは一味違うサウンド傾向なのもむべなるかなという感じがします。
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組曲「吹雪の街を」考 (2) 伊藤整におけるテクストの位置づけ

組曲「吹雪の街を」考 (2) 伊藤整におけるテクストの位置づけ

テクストの詩は、すべて詩集『雪明りの路』から採られたものです。
十代後半、伊藤整少年は少なくとも2人の女性と恋愛を経験しました。この時期に書かれた詩には、その恋愛体験を題材としたものが多く、組曲「吹雪の街を」はそういう詩を中心に選ばれています。
そして21歳で、伊藤青年は、詩集『雪明りの路』を上梓しました。編集過程で、詩人は十代半ばから書き溜めてきた詩をまとめて読み直し、それを踏まえて詩集の序文をこう締めくくります。

此処に集められたものを見ていて私は涙ぐんでしまった。
何もかもが其処から糸をひくように私に思出されるのである。
之が今までの私の全部だ。
なんという貧しさだろう。
幾年もの私がこんな小さな哀れなものになって了った。
私はまた之からこの詩集を懐にして独りで歩いて行かなければならない。
頼りないたどたどしい路を歩いて行かなければならない。
私を呼んでいるものが、待っているものがあるような気がするのだ。
では左様なら。
愛惜きわまりない、稚い年月の私の夢よ。
其処に絵のように浮いてくる人々よ。

そう、詩集『雪明りの路』は、詩人にとって自らの思春期を総括し、甘酸っぱくほろ苦い青春から卒業するきっかけとなった存在なのであります。
(序文の全体は北海道中央タクシー株式会社の公式サイト内で読めます)
この詩集を出してまもなく伊藤氏は大学に進み、生活の拠点を北海道から東京へ移し、文芸活動の場を詩から小説や評論へシフトさせてゆくのでした。
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組曲「吹雪の街を」考 (1) 目次・前置き

組曲「吹雪の街を」考 (1) 目次・前置き

【目次】

【前置き】
しばらく、伊藤整作詩・多田武彦作曲の男声合唱組曲「吹雪の街を」をめぐり、断続的に書き連ねてみます。
きっかけは男声合唱団トルヴェールで練習中の曲が含まれていることです。読者をトルヴェールの団員諸氏に限定するつもりはないので、まだ練習・演奏していない楽章についても書きます。指揮者(トルヴェールだとtree2氏)の解釈に立ち入るような記述はなるべく避ける方針で進めます。
各項目それぞれ単独でも読めるよう書いたので、ところどころ項目間で記述がだぶってます。あしからずご了承を。
この組曲についての基礎データは「多田武彦〔タダタケ〕データベース。」の「吹雪の街を」をご覧くださいませ。
なお、当ブログでは個別の詩についての解説は最小限にとどめます。
そちらの方面にご興味のある方は、深沢眞二氏の著書『なまずの孫 1ぴきめ』をおすすめいたします。(組曲「吹雪の街を」のテクストとなった詩については「III 愛と整—『雪明りの路』『吹雪の街を』を歌うために—」という章で詳細に記されています)

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ぐりーっ

ぐりーっ

近頃テレビで「GREE」というソーシャル・ネットワーキング・サービスのCMが流れていて、ワセグリこと早稲田大学グリークラブの現役生が出演して歌っています。

これほど男声合唱が映像面からもフィーチャーされる機会はあんまりないので、おおと思いながら見ています。

せきが故郷越後に戻ってから、ワセグリを見聞きするのは年1回、ゴールデンウィークにある東京六連ぐらい。昨年夏に演奏旅行で糸魚川に来て、未出版の「稲風」や、昨年の六連で取り上げた映画音楽集などを演奏したそうですが、平日なうえ長岡から遠いんで行くのを断念しました。

歌はほとんどがユニゾンで、最後の「GREE」だけ F-dur (ファ-ラ-ド-ファの和音)でハモります。

ユニゾン部分、フレーズの終わりで響きのポジションが落ちてピッチが下がるのは、ちょっと残念。その代わり、おしまいの F-dur は結構なハモりだと思います。

なお、オトコくささが強いと感じる人もいるみたいですが、あれはワセグリならではの持ち味という部分も少なくありません。よその大学の男声合唱団はワセグリに比べると少々〜かなりオトコくささ抑え目です。

舞台上での立ち位置・並び

舞台上での立ち位置・並び

男声合唱団トルヴェール音楽監督・tree2さんのブログに「第7回新潟県ヴォーカルアンサンブルコンテスト トルヴェール編」というエントリーが載りました。
なんでも、トルヴェールが演奏にあたって舞台の突端(へりから数十センチの場所)に並んだことを、講評や閉会式での全体選評で批判した審査員がいらっしゃったのだそうで。せきはそのコメントに直に接したわけではないのですが、主としてステージマナーの次元でおっしゃった話のようですね。
演奏会の場合、ステージリハーサルで、時間を割いて歌い手や楽器の位置を微調整する指揮者は珍しくありません。
せきは合唱団員としてはもちろん、客席でその現場に立ち会った経験もありますが、山台を1段上り下りするだけで大いに鳴りが変わってきます。同じ段上でも、へりぎりぎりに立つか、段の真ん中へんに立つか、段の後ろぎりぎりに立つか、その程度でさえも客席に届くサウンドに違いが生まれます。この変化はなかなか面白いものです。
というわけで、くだんの審査員のコメントを知り「会場を鳴らす上で意味・効果があると考えてやってることなら、舞台上のどこで歌おうがええやん」と反発をおぼえたものでした。
演奏の質についてはtree2さんが書いている通りで、立ち位置のせいだけで銅賞になったとはせきも思っていません。
ただ、並びが限りなく直線状に近い横一列だったんですけど、馬蹄形に近いフォーメーションのほうがよかったとは思います。それなら歌い手どうしでの聞きあいがよりしやすくなっただろうし、tree2さんの合図が見やすくなって「男の恥」な失敗をせずに済んだかも(言い訳)。
蛇足ながら。
コンクールや合唱祭では、会場が地元以外の場合、予備知識のないホールで歌うことのほうが一般的です。ステージリハーサルで音響特性をつかむことなく、別室での直前リハーサルだけで本番を迎えるというのは、なんとなく不安なものですね。