北村協一先生にまつわる思い出 (3)
「北村協一先生にまつわる思い出 (1)」および「北村協一先生にまつわる思い出 (2)」の続きです。
少なくともせきの現役時代、立教大学グリークラブ男声合唱団における北村先生の練習は厳しさに満ち、雷が落ちることもしばしばだった。それにかかわる影の部分を、回想文にふさわしからぬことを承知で、今回は綴ってみる。いわゆる「黒歴史」に属する事項を含むこの記事だけが切り離されて一人歩きしないことを願いつつ。
「合唱アンサンブル.com」の中の人のメモランダム。当ブログの記事はあくまで私的発言で、係わりある団体や組織の見解を代表するものに非ず。
「北村協一先生にまつわる思い出 (1)」および「北村協一先生にまつわる思い出 (2)」の続きです。
少なくともせきの現役時代、立教大学グリークラブ男声合唱団における北村先生の練習は厳しさに満ち、雷が落ちることもしばしばだった。それにかかわる影の部分を、回想文にふさわしからぬことを承知で、今回は綴ってみる。いわゆる「黒歴史」に属する事項を含むこの記事だけが切り離されて一人歩きしないことを願いつつ。
5年目の命日から書き始めている北村協一先生の思い出話、続き。
北村先生の技術指導はコンパクトで分かりやすくかつ当を得たもの。大久保昭男先生による基礎ヴォイストレーニングに加え、北村先生は丁寧に体の使い方の実践ポイントを指導してくださった。
立教グリー現役時代、男声定期演奏会のアンケートで「北村先生のステージになると発声の整い方が抜群」みたいな主旨のことを書いた人がいた。確か、同じく北村先生のご指導を受けていた慶應ワグネルの男声。
講釈は少なく、代わりに団員に繰り返して歌わせるレッスンが多かった。ある箇所を取り出して反復練習するときは「この数小節しかやらないから譜面を見ない!」という一言がセットだった。おかげで、練習で集中して取り組むすべが身に付いたように、せきは思う。
技術指導ということで、特に鮮烈に覚えている練習は、2年次の六連「尾崎喜八の詩から」練習初回。
その日は第1曲の冒頭、16分音符2つ+付点4分休符+16分音符3つから成る、全員によるユニゾン「いま 野には」だけに練習時間の大半が費やされた。各音符に付いているアクセントの表出が弱いということで、そのフレーズを一人ずつ歌わせての特訓となったのだ。アクセントの表現に必要な筋肉の動かし方を指導すべく、北村先生に胴回りを触られたり、逆に北村先生の胴回りを触ったりさせられたメンバーも数多くいた。
一昨日午後から「2011年東北地方太平洋沖地震」が起こり、現在も続いている。せきは新潟県中越地震と新潟県中越沖地震に被災した体験があり、TVで今回の惨状を見るたび当時のことを思い出して胸が重い。犠牲者のご冥福をお祈り申し上げるとともに、避難生活を余儀なくされている皆様にはどうか耐えて生き続けていただければと願う。
さて、2006年3月13日22時57分、北村協一先生が74歳で天に召された。あれから本日で5年。
逝去直後にWebで、また翌年2月24日に開催された『北村協一追悼演奏会 Love。』のパンフレットで、様々な方々が先生の思い出を綴っておられた。
そうした先達の皆様に比べれば末輩のせきだが、先生からご指導をいただく機会を得た者の端くれとして、これから何回かに分けて当時の記憶をアトランダムに綴ってみたい。
なお本シリーズは、当方の色眼鏡から事実誤認や誤記をやらかしているのではという危惧が、他のテーマにまして強い。
北村先生のタクトで初めて歌ったのは1992年、立教大学グリークラブ1年生のとき、第83回男声定期演奏会の最終ステージ「水のいのち」およびアンコール「月の光(組曲『中原中也の詩から』終曲)」。
1992年の北村先生+立教男声といえば組曲「雨」のレコーディング。これは2〜4年生による演奏で、せきは新入生ゆえ参加していない。六連で演奏した「雨」では客席で感涙した女子がいたという伝説を耳にした覚えがある。伝説が嘘か真かは知らねども、男声定期演奏会の録音でその再演を聞くと、さもありなんと感じる見事なサウンドである。
北村先生のサウンドを聴衆として最初に感銘を受けたのは、1993年1月だか2月だかの関西学院グリークラブ第61回リサイタルで聴いた、堀口大學作詩・多田武彦作曲の男声合唱組曲「雪国にて」。演奏者に新潟県出身者はいないはずなのに、高校時代まで暮らしてきた越後の冬の情景がリアルに演奏から伝わってきたことが不思議でならなかった。
余談。せきが立教大学グリークラブOB男声合唱団に参加していた頃、練習後の酒席で「北村先生の演奏で印象に残っているのは?」と尋ねられたことがある。前掲の話をしたら、とある先輩に冷笑された。その演奏は何かしら不備があったのかもしれないけれど……。当方もともと頭ごなしな物言いが大嫌いなのだが、他人の受けた感銘を否定するようなことはやめようとそのとき改めて思った。
東北地方太平洋沖地震の被災地には、石巻メンネルコールや花巻女声合唱団など、北村先生とご縁のあった合唱団もいくつか存在する。末筆ながら、メンバーの方々は大丈夫であろうか。
合唱練習のない1月22日に、日帰りで上京し、四ツ谷にある聖イグナチオ教会で行われた「北村協一メモリアル 関西学院・上智・同志社・立教 OB合唱団合同演奏会 ——キリスト教一致祈祷週間にちなんで——」を聴いてきた。
出演者・来場者の皆様、お疲れ様でございました。