2023/10/21などの日記:第59回長岡市民音楽祭 公募合唱団

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昨年初夏から秋にかけて「第59回長岡市民音楽祭」公募合唱団に参加したときのことを記します。

何月何日に何があったかについては昨年の大晦日に公開した記事「2023年のMY合唱ライフまとめ」で簡略に列挙しました。それを補うものです。


長岡市民音楽祭は回ごとに異なるテーマを設定して開催されています。昨年の第59回は、テーマが「合唱」で、混声合唱団を公募し、和合亮一先生が書き下ろした詩に信長貴富先生が書き下ろした新曲をフィナーレで初演するという企画が目玉でした。

この企画を私が知ったのは、応募受付締切間際でした。5/28に行われた「第17回花いっぱい音楽祭2023」に出掛けた母が長岡市民音楽祭の実行委員長を務める丸山幸夫氏に「息子さんは参加しないの?」と言われるまで私のアンテナに引っかかっていなかったのです。大急ぎで要項などを調べ、締切日の5/31夜にエントリーの手続きをしました。要項を確認したところ、「Fire」のほか、信長先生が作曲した「こどもとおとなのための合唱曲集『ゆずり葉の木の下で』」も歌うということでした。

参加申し込みを決めた動機は大まかに2つあります。

ひとつは、私にとって久々の新作初演参加。1993年の林光作曲「哀しみの歌」、2001年の大中恩作曲「九月」、2003年の多田武彦作曲『叙情小曲集』「Fiore」、2007年の佐藤さおり作曲「天空」、それとオペラですが2009年の宮下秀樹作曲「直江の婿えらび」以来、実に十何年かぶりでした。

もうひとつは、仁階堂孝先生の指揮で歌えること。私はたまに「長岡市在住者だったら越の国室内合唱団 VOX ORATTAで歌っているでしょ?」と尋ねられることがあるのですが、ORATTAさんは入団資格に高校生以上〜29歳以下という年齢制限を設けており、創団時点で37歳だった私は入団資格を大幅にオーバーしていたため興味深い活動の数々を聴衆として拝見拝聴するのみでした。また三条市の企画で仁階堂先生を招聘し男声合唱組曲『月光とピエロ』を歌う機会もあったのですが、そのころ私は一身上の都合により合唱活動を自主規制中だったため参加見送り。そんなことがあって、いずれの折にと願っていました。

ちょっと脱線しますが、ORATTAさんの年齢制限に反応する形で、2017年頃および2019年頃にTwitterあらためX上で「長岡市近郊には40代で歌える合唱団が少ないよね」みたいな愚痴をこぼしあっていたことがあります。仁階堂先生はそれをご覧になっていたと、このたび2〜3度ほど言われました。


6月25日、NCホールで公募合唱団の発会式、および仁階堂先生による正味約1時間の講演会が催され、そこで何日か前に届いたという新作「Fire」の譜面が配られました。確かこのとき『ゆずり葉の木の下で』は全曲ではなく「あおいあおい」「モン・パパ」『「ゆずり葉」に寄せるバラード』の3曲を歌う旨のアナウンスがなされました。

発会式と講演会に引き続き、同じ建物の中にあるホテルニューオータニ長岡の一室で懇親会がありました。参加費8,000円だったことなどが影響したのか、参加者は長岡市音楽文化協会幹部の皆様が主で、公募合唱団の参加者は4名ほど。このとき仁階堂先生から「ORATTA団員の一人が泣いていたのでどうしたのか尋ねたら、30歳になるから退団しなきゃいけないのが寂しいと。違うんだよ、長いこと一緒に音楽を作っていきたいから入団資格に年齢制限を設けているだけで、在籍について定年を設けているわけではない」という趣旨の話を伺いました。


練習は本番前日・当日を除き、すべて長岡市中央公民館大ホール(さいわいプラザ4階)で行われました。

仁階堂先生による全体練習4回のほか、杵淵直子先生による女声のみの練習、佐藤晶子先生による女声のみの練習、佐藤匠先生による男声のみの練習(指導者の五十音順)が2回ずつ設けられました。女声は当初、杵淵先生練習と晶子先生練習のいずれか指定されたほうに参加という形でしたが、のちに2×2回のどれに参加してもOKと変更されました。


全体練習の初回は、杵淵先生と両佐藤先生も立ち合いました。なお、杵淵先生は合唱団の一員として本番に出演しました。

仁階堂先生がどのようなアプローチで音楽を作っていくか、私は全体練習初回で方針の大筋を把握できたように思います。理解したところを自分自身の言葉でまとめるなら、筆による描画や書道の如くに息や声で太く長いフレーズの動きを描いてゆくアプローチといったところでしょうか。また、聴衆への伝わり方という観点から発語などに対し軌道修正をする指導もありました。

休憩中、晶子先生が仁階堂先生のところへブレスの位置を教えてほしいと尋ねに来ました。それに対し仁階堂先生はフレーズをなるべく寸断させないことを優先したい旨を返答しました。たまたま私はその場に居合わせ、嚙み合わないやりとりという印象を受けました。解散し駐車場へ向かう帰り道、近くに晶子先生がいらしたので「あれはカンニングブレスでと指示するのが正解だろうと思いますよ」と申し上げましたが、腑に落ちなさそうな反応でした。(ただ、あとで行われた女声練習の参加者に様子を聞いてみたところ、そういう方向性で指導があったそうです)


全体練習の2回目以降、練習の何日か前に長岡市文化振興課から配信される事務連絡メールに、仁階堂先生からのメッセージが載るようになりました。毎回そこには集客を促す文言が盛り込まれていました。コンサート運営方面のことについて合唱団員にメッセージを発する指揮者というのは初めてお目に掛かったので私は新鮮に感じたものです。でも、これって自分たちのパフォーマンスが世の中に与える影響について広い視野でお考えだからなんでしょうね。そこに思い至ったとき目から鱗が落ちたように感じました。

また、仁階堂先生からのメッセージとして暗譜を奨める文言が載ったことがありました。


VOX ORATTA団員は皆さん好青年でした。ある練習で私が楽譜をどこかに置いたら行方不明にしてしまったことがあって(演台の隙間に落ちていた)、ORATTAのメンバーが声をかけて一緒に探してくださいました。その節はありがとうございました。

私は毎回ではないのですが、自分が出演者や出場者でないときも新潟県合唱祭や新潟県合唱コンクールや新潟県ヴォーカルアンサンブルコンテストに足を運ぶことがあります。これらのイベントは新潟市中央区で開催されることが多く、ORATTA団員の中には客席にしばしば姿がある私のことを新潟市民と思っていた人もいたようです。


全体練習の2回目、同声合唱パートを担当する長岡少年少女合唱団が練習に参加しました。少年少女合唱団の指導者である中村美智子先生は箕輪久夫先生つながりで御縁があり、その頃ちょうど別ルートで合唱団Lalariにお誘いしていたところだったので、これ幸いと私からも声をかけさせていただき、12月のリリックホールコーラスフェスティバルで合唱団Lalariのステージに参加することについて内諾をいただくことができました。


全体練習の3回目、仁階堂先生の原案に沿って並び順を決めました。一般参加者の中に「歌える人は後列に立って、前列の人をサポートするのがよいのでは」と提案していた人がいたのに対し、先生は「後列の人の歌声は前列の人の頭髪に吸収されるので、しっかり歌える人は前列にいるほうがよい」と返答しておられました。

簡易な演出を加えたいというお話は当初から伺っていたのですが、全体練習の3回目で「モン・パパ」に当て振りの動きが付けられました。動きを加えたことで楽曲のコミカルさが増幅され、本番では客席から笑いが起きていました。

地元ケーブルテレビ局が取材に来ていたので「モン・パパ」を動きを付けた形で撮影していただきました。その動画は後日メンバーに配信されました。練習風景を動画で見るのは初体験でしたが、いろいろ学ぶところがありました。視覚的演出を伴わずに歌うステージの練習についても、せっかくなら音声のみの録音でなく映像を録画するほうが有益だろうという認識を得ました。


本番前日、夕方から全体練習の4回目およびステージリハーサル。信長先生もいらっしゃいました。和合先生もご臨席という話だったものの、間際になっておみえにならないことがわかり、かわりに和合先生が朗読した「Fire」詩の録音を流すことになりました。

信長先生からは様々なご指導をいただきました。ここでは『「ゆずり葉」に寄せるバラード』終盤のrit.をかけるタイミングについて「譜面の書き方が違っていた。テノールのパートソロとともにrit.を始めるほうが作曲者の意図に近い」とおっしゃっていたことを記しておきます。

仁階堂先生の準備も入念なものでした。

本番を譜持ちで歌う合唱団員のために、あらかじめ舞台上の目に付きにくい場所に楽譜を固めておき、合唱団員が並んだら前口上のスピーチだか和合亮一先生が書き下ろした詩を作詩者自ら朗読している間だかにバケツリレー式で楽譜を回してゆくという段取りおよびその練習が行われました。

また、初演時点で「Fire」は未出版だったため、各自が黒い厚紙でこしらえた譜面カバーを掛けて使うことになったのですが、そのカバーの作り方もご指導くださいました。


本番当日。前半に9団体が単独ステージを持ちました。私は4団体くらいまで聴くことができました。

フィナーレの前に直前リハーサルがありました。ただ連絡不行き届きだったのか、単独ステージを持っていた一部団体の一部メンバーが直前リハーサルにいらっしゃいませんでした。

公募合唱団と長岡少年少女合唱団の合同によるフィナーレは成功裏に終えられたと思います。


終演後、長岡駅前で打ち上げが賑々しく催されました。信長先生もいらっしゃいました。

いろいろ考えた末、和合先生の詩が終曲に用いられている『静寂のスペクトラム』出版譜に信長先生からサインをいただきました。仁階堂先生からは「マニアックだね。Combinir di Coristaが委嘱した曲でしょ」と言われ、私はただ笑うのみでしたが、あとで「松村努先生からは立教大学グリークラブの現役がご指導いただいてまして」と返答すればよかったと悔やんだものです。

打ち上げは3次会まで行われたようです。私は2次会まで参加しました。

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