2024/05/12の日記:CANTUS ANIMAE 第28回演奏会「祈りのかたち Vol.2 三善晃作品展 —戦争と…人間らしさと…海と…—」

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2週続けて演奏会を聴きに上京。前回は泊まりがけだったが今回は日帰り。


CANTUS ANIMAEの単独演奏会に伺うのは第21回演奏会「つながる魂のうた vol.2」以来。あのとき(今回と同じく三善晃を軸に据えた演目)、別の演奏会とハシゴしたために中座したことが心残りで、開演から終演まで拝聴できればと思っていた。

また、今年3月半ばまで半年ほど長岡フェニックス合唱団を通じ、このたびの出演者のおひとりである野間春美先生にお世話になったことも、足を運んだ動機のひとつ。


開演。まず雨森文也先生がおひとりで舞台上に登場し、前口上として今回の演奏会の趣旨を語る。サブタイトルの戦争、人間らしさ、海、いずれも三善氏の発言に出てくる。これらのキーワードを糸口に、三善晃の様々な側面に光を当てるため、あえて単品と組曲・曲集の抜粋で構成した由。

よきところで1曲目を演奏するメンバーが入場。

第1部

「戦争」からのアプローチ。Tokyo Cantat 2016 コンサート「やまと うたの血脈 VII」で取り上げられた曲の抜粋ともいえる。

1曲目は男声のみで『王孫不帰』より「I」。ピアノは平林知子先生、打楽器は女声メンバー2名。能楽のコロスに手引きされた合唱の音塊に打楽器やピアノが斬り込む。作曲の意図をくみ取った演奏だからこそ、演奏会の趣旨とはズレるが、この先どう展開してゆくか続きを聴きたくなった。

2曲目は女声のみで『オデコのこいつ』より「ゆめ」。ピアノは野間先生。本来は童声の曲だが、子ども時代を通り過ぎ中には育児経験もおありの人もいらっしゃるであろう女声が歌うと、残酷さに深みが加わる。

3曲目は『レクイエム』2台ピアノ版より「III」。演奏は見事。ただ、ここまでの3曲は、題材や編成に異同があるのに、なんだか似通った印象を受けた。たとえば『王孫不帰』から「II」を選ぶとかしていれば多少なりとも幅の広さが印象づけられたのではという気がする。

第2部

「人間らしさ」からのアプローチ。三善氏は音楽をジャンルで区別することをよしとしなかった一方、ジャズやフォークソングを人間らしさと最も地続きな音楽と感じていたという。そうしたエッセンスが盛り込まれた曲をチョイス。

1曲目は『黒人霊歌集』より「Joshua fit the Battle of Jericho」。土着の音楽ならではのエネルギーを残しつつも紛うかたなき三善サウンド。そうか、ジャンルを問わず様々な音楽が三善晃のフィルタを通過し血肉となって三善サウンドの一要素と化したということなのですね。私にとっては発見であった。

2曲目は『動物詩集』混声合唱版より「ひとこぶらくだのブルース」。ピアノは野間先生。先に書いたことを踏まえるなら、ブルースのスタイルで作曲したというより、詩の哀歓を描くためにブルース音楽(パンフレットではスウィングジャズと記載)の引き出しを開けたということなのだろう。

3曲目は生涯で最後に書かれた合唱作品「その日—August 6th—」。ピアノは平林先生。中間部にTempo di “Blues”と指示された箇所があるけど、様式としてブルースに乗っかるというより、ブルースの根底に流れるものと詩から漂う虚無感を重ね合わせて描こうとしたのかなという印象。

4曲目は『クレーの絵本 第1集』混声合唱+ギター版より「黄色い鳥のいる風景」。指揮者・ピアニストも合唱に加わる。ギターは団員。フォークソングのスタイルを取り入れた事例として取り上げられたのだろう。今回唯一、明るくルラルラする楽曲。他の演奏も素晴らしいが、このように喜びを歌い上げる曲がCANTUS ANIMAEのレパートリーとして白眉だと思う。惜しむらくはギターが合唱に比して小さく聞こえたこと。エレアコで弾くなどにより音量を増幅したほうがバランスがとれたのでは。

第3部

「海」からのアプローチ。三善氏は海への散骨を望む発言を残したほど海に対する思い入れが強かったようで。

1曲目は『海の日記帳』より「海のアラベスク」。平林先生によるピアノ独奏。合唱作品でいうと『唱歌の四季』あたりに通ずる、比較的親しみやすい音楽。他の出演者は山台に腰をおろして聴いていた。

2曲目は『三つの海の歌』より「マリン・スノー幻想」。無伴奏混声の小品。描写が丁寧な演奏。

3曲目は「ラ・メール」。女声合唱、ピアノは野間先生。本編では唯一1990年代の作品。このような単品を演奏会の演目に取り込めるのが、オムニバス形式による選曲のよいところ。昨年あたり、私は三善晃のピアノ付き女声合唱曲についてアルトが他パートやピアノに埋もれやすいと記したことがあるが、今回は各パートがきちんと生きていた。

4曲目は「交聲詩 海」。こうして海にまつわる他の曲と組み合わせて聴くと、ただ荒れ狂うだけでない紆余曲折が分かりやすく感じられる。


「交聲詩 海」を演奏し終えたのち、雨森先生のスピーチ。三善氏による発言「谷川俊太郎の詩には万巻の哲学書に勝る哲学がある」を紹介したのち、ピアニスト・田中遥子のことに触れた。

スピーチを受けて、アンコール「ピアノのための無窮連禱による 生きる」。田中氏(および、言及されなかったけど合唱指揮者の田畑政治)を偲びつつ谷川氏の詩に作曲された単品である。ピアノは平林先生。演奏は、日常の一コマ一コマから様々な要素をピックアップし、今ここにある有難さを嚙みしめて味わうといった趣。


重量級の曲が多いのに最後までエネルギッシュ。それどころかむしろ舞台上で出演者どうしでエネルギーを増幅しあっていたかのよう。皆様お疲れ様でした。こちらも刺激をいただき、感服しました。


蛇足。今回は「戦争」「人間らしさ(いわゆるクラシック以外の音楽とのかかわり)」「海」の3つから三善作品にアプローチしていたが、他のキーワードを探すのも面白そう。私が思いつく例だと「日本語」「民謡、文部省唱歌、昔の流行歌」「遠近法」とか。

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