箕輪久夫先生 逝去

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本年11月19日の午前10時4分、新潟県で合唱指揮者およびバリトン歌手として活動した箕輪久夫先生が誤嚥性肺炎により89歳で亡くなられました(新潟日報による訃報)。


箕輪先生の功績といえば、新潟の地に音楽文化の種をまいて育てたことに尽きると思います。先生は長年にわたり新潟大学教育学部(当時)で教鞭をとり、合唱指揮者や声楽家や音楽教諭として活躍する教え子を多く輩出しました。オペラ公演の制作を何作も手掛けたり、新潟アジア文化祭にたずさわりアジアユース合唱団を創設したりなどもしておられます。

アジアユース合唱団のほかにも創設にかかわった合唱団は、のべ十何団体に及びます。全日本合唱コンクールに関心のある皆さんにとっては全国大会で金賞を取ったレディースクワイヤJuneや新大室内合唱団の名をご存じの方も少なからずいらっしゃるはず。

先生の経歴は合唱団にいがた公式サイト「監督音楽歴」に詳しいです。



ここからは箕輪久夫先生とのつながりを極私的に振り返ることにします。

御縁をいただいたのは2006年に創設された新潟ユース合唱団で、指揮者と合唱団員という間柄でした。この団体は同年8月12日に開催された「アジアユース合唱団2006演奏会」をきっかけに生まれ、同演奏会が初ステージでした。

先生の指揮で歌ったステージ履歴を以下にまとめます。すべて混声です。イベント名から当ブログ内での関連記事にリンクを貼ってあります。

2006年8月12日(新潟ユース合唱団)
「アジアユース合唱団2006演奏会」賛助出演
信長貴富作曲『新しい歌』全曲
2007年11月24日(新潟ユース合唱団)
新潟ユース合唱団主催演奏会「新潟ユース合唱団2007 & レディースクワイヤJune, 合唱団ユートライの饗宴 〜魂の指揮者・雨森文也 来県!〜」
髙嶋みどり作曲『かみさまへのてがみ』第1,2,3,5曲
2008年8月31日(新潟ユース合唱団)
「全日本合唱コンクール新潟県大会」銀賞
課題曲:上田真樹作曲『鎮魂の賦』より「家居に」
自由曲:信長貴富作曲『新しい歌』より「一詩人の最後の歌」
2008年10月12日(新潟ユース合唱団)
「全日本合唱コンクール関東支部大会」銅賞
課題曲:上田真樹作曲『鎮魂の賦』より「家居に」
自由曲:信長貴富作曲『新しい歌』より「一詩人の最後の歌」
2011年6月18日
レディースクワイヤJune 2011コンサート」合同演奏
三善晃編曲『唱歌の四季』全曲、佐藤さおり作曲「またね」
2012年1月7日(合唱の木合唱団)
第9回アカンサスコンサート
三善晃編曲『唱歌の四季』全曲
2012年1月29日(合唱団Lalari)
第10回新潟県ヴォーカルアンサンブルコンテスト
Lennox Berkeley作曲『Mass for five voices op.64』より「Gloria」
2015年8月23日(合唱団Lalari)
全日本合唱コンクール新潟県大会
課題曲:G. P. da Palestrina作曲「Super flumina Babylonis」
自由曲:Josquin des Prez作曲『Missa Pange Lingua』より「Kyrie」「Gloria」
2016年6月25日(合唱団Lalari)
合唱樹II 〜箕輪久夫先生の傘寿をお祝いして〜
Claudio Monteverdi作曲「Zefiro Torna」「Che se tu se’il cor mio」「Ecco mormorar l’onde」

合唱の木合唱団とは、箕輪久夫先生と御縁のある合唱団(レディースクワイアJune、アンサンブルロゼ、新大室内合唱団、合唱団Lalari、アンサンブルfilato、えちごコラリアーズ、男声合唱団トルヴェール)の有志による単発の合唱団です。私は、えちごコラリアーズおよび男声合唱団トルヴェール枠で参加しました。

いま私にとって主要拠点とさせていただいている合唱団Lalariにおいて、合唱樹II以外のステージは助っ人としての参加でした。Lalari+箕輪先生では上記のほか2013年に全日本合唱コンクール新潟県大会に向けた練習に参加していましたが、当方の問題で本番間際にドタキャンしてしまいました。このときの曲はT. L. de Victoria作曲「O magnum mysterium」とJosquin des Prez作曲『Missa “Pange Lingua”』より「Gloria」です。

私がLalariの助っ人でなくなった前後から、先生は体力を気にしてか演奏活動を少しずつセーブする方針となってゆかれました。17年ほどの御縁にしては先生の指揮で歌ったステージが少ないのはそこらへんも一因です。


箕輪先生による練習は、私が参加した限りだと和やかでリラックスしたものばかりでした。先生はいつもニコニコ、穏やか。常々「合唱は皆がのびのびと歌うのが一番」とおっしゃってました。新潟ユース合唱団のコンクールに向けた練習で、ベースパートがパートバランスとして人数が多めだったので私が揃えてまとめる方向にもっていこうとしたら、その直後の箕輪先生練習でまとめることはあまり考えなくていいと軌道修正されたこともありましたっけ。

一方で奥底にある厳しさを感じさせる光景も何度か目にしました。すぐ思い出せるものだと、「家居に」で高いGに苦戦するソプラノに対し、ピアノで打鍵されたG音と交互に問題の音をピアノとのピッチの差がなくなるまで一人ひとり歌わせ続けるといったことがありました。

先生による語録を思い浮かぶまま箇条書きで列挙します。

  • 音を伸ばす際にムラがあると「長い音符は、短く細かい音符を連打し続けるように歌う」。
  • リズムや拍節や音型の都合で発語や発声に支障をきたす歌い手に向けて「音符に負けないで」。
  • 細かい音符をインテンポでなく緩急を加えて歌ってほしい場合「そこのフレーズはもっと転んで」。
  • 世界のナベアツ(現・桂三度)が3の倍数でアホになるというネタで一世を風靡した頃「一詩人の最後の歌」の「一本」を不安定な発声で歌う合唱団に対し「(3の倍数でアホになるネタの)サァーンってギャグがあったね」。

箕輪先生独自の演奏テクニックとして、いわゆる三善アクセントと呼ばれる記号が付いた音符を、半音ほど低い音から瞬間的にしゃくって入るという歌唱法がありました。楽典的な模範解答ということでなく、あくまでもそれっぽい音響効果を表現するための裏技である点、誤解なきよう。

先生は練習中、合唱団のメンバーに、いま取り組んでいる楽曲のタイトルに対する別案を新しく考えさせることがありました。曲の全体を俯瞰してキーポイントと思われる要素を短く言語化することが狙いだったものと私は理解しております。

あと「発語への様々なアプローチに関する小レポート」という記事で、箕輪先生の事例を記しています。先生からは発語、端的にいうと言葉のまとまりに沿ったフレーズづくりなどについてご指摘を多くいただいたような印象です。

某合唱仲間が箕輪先生について「先生は演奏が充実してくると指揮を振らなくなる。逆にいうと、先生が拍節を示し始めたらヤバいと思え」と指摘していましたっけ。


箕輪先生の音楽について私が感じたことを短くまとめると「洒脱」。先生のお人柄そのままということです。そういう特性がルネサンスのポリフォニーなどで発揮されたのでしょうし、個人的には例えば遊び心の塊である千原英喜作品あたりと相性が良かったように思います。


先生の指揮するステージを最後に生で拝見したのは、当ブログに記録を残したものだと「合唱樹IV」です。そのあと演奏会場などでお目に掛かる機会がどれほどあったか記憶が定かではありません。でも、合唱団Lalariの練習でしばしば先生のことが話題にのぼるので、ずっと身近に先生がいらっしゃるように何となく錯覚していました。


訃報は亡くなられた日の夜に男声合唱団トルヴェールの先輩経由で届きました。

先生の近況は間接的ながら漏れ承っており、長きにわたり携わってこられた新潟第九コンサートの合唱指揮を昨年で退かれたことなどから多少なりとも覚悟をしてはおりました。でもやはり寂しいです。もう先生のご指導を受けられないのが残念でなりません。せめて御礼を申し上げるのみです。

箕輪久夫先生、ありがとうございました。先生のおかげで合唱活動の視野が広がったように感じます。どうぞ安らかに。

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