カテゴリー: 薀蓄や個人的見解

Lieder Eines Fahrenden Gesellen

Lieder Eines Fahrenden Gesellen

カワイ出版の新刊目録に『福永陽一郎(G.マーラー):男声合唱とピアノのための「さすらう若人の歌」』が載りました。

個人的には懐かしさを感じます。せきは一度、立教大学グリークラブフェスティバルで、この組曲をOB男声合唱団の一員として歌った経験があります。

もともとサニーサイドミュージックという出版社から上梓されていた楽譜ですが、出版社の廃業で入手困難になっていたものです。詳しくは、2009年07月22日付けで書いた『サニーサイドミュージック社 廃業』を。

間もなく楽譜店で購入できるようになるでしょう。喜ばしいことです。

なお、サニーサイドミュージック版から改訂が加えられているのだそうですが、編曲者の福永氏は1990年に鬼籍に入った(今年って没後20年なんですね)ので、他のどなたかが校閲を加えたものと思われます。


サニーサイドミュージックは、外国歌曲の福永氏による男声合唱編曲集を3冊出しました。

1冊が「さすらう若人の歌」。

1冊が男声合唱とピアノのための「ジプシーの歌」で、こちらはChorus Score Clubこと有限会社キックオフが拾い上げてくださいました。

残る1冊「Liebeslieder(愛の歌)」は今もそのままになっているはずです。どこかの出版社が再発売してくださいますように。

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Rikkyo Songs 合唱版のこと

Rikkyo Songs 合唱版のこと

一昨日付けエントリ「グリフェス動画 公開スタート」で紹介した動画以外の、立教大学校歌・応援歌の合唱編曲について、知る限りをまとめてみます。

○ 立教大学校歌「栄光の立教」

混声合唱では、石丸寛氏による編曲が歌われていた時期があったようです。せきは、OB男声合唱団「愛唱曲集」の編集を手伝わせていただいたときにこの編曲を知りました。

女声合唱では、北村協一先生による編曲が歌われています。演奏会のエールとしてピアノ伴奏が付きます。それ以外の場ではアカペラでも演奏されます。途中「雲居」のモイについて正規の校歌では付点4部+8部なのが、なぜか4部+4部の均等割りで長らく演奏されています。せきの現役時代、女声に「そこのリズムは付点4部+8部が正式だから」と言ったことがあるんですが聞き入れていただけず現在に至る次第。

男声合唱版も北村協一先生による編曲があり、女声合唱と一緒に混声7パートで演奏可能になっています。確か昭和63年卒団の代(キャプテンは卒団後、北村先生の還暦祝賀として多田武彦先生に書いていただいた「Ful Ful Wonderful」を作詞した人)が幹部だった年度に書き下ろしてもらったものです。エールにしては凝った編曲で、普通に終わるバージョンと、「St. Paul’s will shine」と連呼するバージョンの2通り、エンディングが用意されています。いずれのバージョンも曲の終わりでTop TenorにHi-Bが出てきます。一時期、男声定期演奏会のアンコールで「神ともにいまして」の前に次年度の学生指揮者がこの曲を演奏していたことがありますが、近年は公的な場では演奏されていないようです。

もう一つ、山古堂氏のブログ「第1回 大学合唱最古の録音」に紹介されている、辻荘一名誉部長先生による合唱編曲に西垣鐵雄氏がオーケストラ伴奏を付けた編曲があります。せきは未聴ですが、おそらく前回紹介した編曲を男声合唱で演奏したものと思われます。

○ Rikkyo College Song(第2応援歌)「St. Paul’s will shine Tonight」

男声合唱編曲がいくつかあります。せきが知っているのは2つ。

一つは、前述の山古堂氏のブログ記事で紹介されている、西垣鐵雄氏によるオーケストラ付き編曲。これについては「山古堂所蔵音源」という記事でMP3版の音源が聴けます(いつまで聴けるかわかりませんが)。

もう一つは、ビクターだったかのレコードに収録されている男声無伴奏合唱。ずいぶん前に聴いた音源なので編曲者などのディテールは失念しましたが、鶴岡陽一氏の編曲に若干の手を加えたものです。具体的には、短2度(半音)だったかキーが下げられており、一部フレーズで鶴岡版では違う動きをするTop TenorとSecond Tenorがユニゾンになる程度の違いだったような。

前回の記事に書いたとおり、「女がセントポールを歌うなんて」という抵抗があったため、男声合唱以外の編成で歌われることは長らくありませんでした。

せきがOBになって何年かたってから、グリーフェスティバル後の懇親会などで男女一緒に「St. Paul’s will shine Tonight」を歌うようになりましたが、女声パートは主旋律をなぞっていました。

新たなる動きがあったのは1999年。

11月6日に開催された、グリークラブOB会と立教大学オーケストラOB会の出演による「立教学院創立125周年記念演奏会」で、混声合唱とオーケストラで立教ソングを歌うことになったのです。

そこで、不肖せきが女声3部(全パートにdiv.あり。ただし同時に鳴る音は最大4声)に編曲したものをこしらえました。鶴岡氏による男声合唱編曲をなるべく忠実にトランスクリプトし、女声だけでも、あるいは既存の男声版と合わせて混声7部でも演奏できるようにしたものです。

初演は、混声7部合唱に、他の方(失念、いまパンフレットが見当たらなくて確認できず)の編曲によるオーケストラを合わせた形で、昭和56年卒・高坂徹氏のタクトにより執り行われました。

その後2〜3年ほど、グリーフェスティバルのアンコールなどで、この混声7部版を演奏していただきました。

現役女声の愛唱曲集にはわたくしの女声3部バージョン楽譜も掲載していただいた時期があり(今もそうなのか存じませんが)、グリー内輪のイベントで女声だけで演奏してくださったこともあるようです。

ただ、のちに鶴岡氏ご本人が女声パートを2声に簡略化したバージョンを作り(大方わたくしの編曲が拙かったせいでしょう……)、混声合唱としては現在そちらが専ら演奏されています。

○ その他の応援歌

立教大学には第6まで応援歌が存在しますが、第1・第2以外の公式な合唱編曲は今年まで作成・演奏されなかったはずです。

手前味噌ながら、せきは大学3年ごろからOB男声合唱団に混ぜていただいていた時期までの間、趣味で合唱編曲をたしなんでおり、立教の応援歌群も男声合唱にアレンジして遊んでいました。第3応援歌は、OB男声合唱団の愛唱曲集に載せていただいたことがあります。第1応援歌は現役の某演奏会マネージャーから演奏したいという個人的な打診をいただいたことがあり快諾したのですが、結局お流れになってしまいました。

せきの書いた編曲の中で実際に演奏していただいたのは、前述の女声3部版「St. Paul’s will shine Tonight」が今のところ唯一です。

わたくし以前にも、応援歌の合唱編曲を試みた立教グリーファミリーメンバーはいらっしゃったことと思います。

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石井歓氏 逝去

石井歓氏 逝去

作曲家・石井歓氏が11月24日に亡くなられました(河北新報の記事)。

ご冥福をお祈り申し上げます。

石井氏は男声合唱と縁の深かった人です。

現時点で出版されている男声合唱曲は、代表作である男声合唱曲「枯木と太陽の歌」と、組曲「花之伝言」などを収録した「石井 歓 男声合唱曲集」と、石井作品としては比較的新しく1990年代に書かれた男声合唱組曲「石橋の町」の3タイトル。

ただ残念ながら「枯木と太陽の歌」は5部以上からの受注生産、本記事執筆時点で「石井 歓 男声合唱曲集」「石橋の町」は版元品切れとなっております。

上記以外の男声合唱作品については、拙サイト内「日本の絶版・未出版男声合唱曲」『ア行の作曲家(イ〜エ)』にほぼ網羅しているので、そちらを参照いただければと。

なお「日本の絶版・未出版男声合唱曲」は今週末に更新予定です。

ついでながら、わが出身団体・立教大学グリークラブが初演した作品もあります。「三つの寓話」という女声合唱とピアノのための組曲です。1967年に小山俊郎氏(学生指揮者。当時の立教グリーは女声ステージも男の学指揮が担当)のタクトで初演されました。

せきは石井作品の実演に接した経験がありません。タイミングが合わず演奏会に足を運べなかったというのが主な理由。

聴いたことのある音源は、「秘蔵録音で綴る 東海メールクワィアー 50年史」というCDに収録されている「枯木と太陽の歌」第3曲「冬の夜の木枯しの合唱」ドイツ語版と、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の公式サイトで公開されている諸々ぐらいです。

石井氏は指揮者としても活躍し、男声合唱だと、東京男声合唱団、早稲田大学グリークラブ、前述の東海メールクワィアーなどを振っておられます。

また、全日本合唱連盟の第5代理事長も務めました。

そういえば、今年は妙に「枯木と太陽の歌」がフィーチャーされたような印象があります。「雨森文也と歌う男声合唱の夕べ」とか、第17回東西四大学OB合唱連盟演奏会の合同ステージとか。

前者については、雨森氏が全日本合唱連盟の機関誌「HARMONY」に解説文を書いておられたようですね(せきは未見)。


追記(2024/04/14)

カワイ出版から刊行されていた「石井 歓 男声合唱曲集」は現在、同社から男声合唱組曲『花之伝言(はなのことづて)』「男声合唱曲集 月夜の浜辺」の2分冊で発売されています。『石橋の町』もあわせ、現時点では受注生産扱いです。

平成22年度全日本合唱コンクール課題曲

平成22年度全日本合唱コンクール課題曲

平成22年度全日本合唱コンクール課題曲(「合唱名曲シリーズ No.39」収録曲)が発表されました。

混声曲について、せきは全く存じ上げません。

拙サイト「日本の絶版・未出版男声合唱曲」をまとめているおかげで、G3「風」を収録した「三つの無伴奏混声合唱曲」が田中信昭氏によって男声合唱に編曲されているということを知識として持っていますけれども、その程度です。

あ、G1作曲者の別作品「O Magnum Mysterium」および「Missa O Magnum Mysterium」は歌ったことがあります。

女声曲は混声よりは知ってることがあります。

F3が収録されている合唱曲集「白鳥」から1曲ピックアップしての実演には何度か接したことがあり、そのうちの少なくとも1回が「露営のともしび」だったようにも思いますが、女声版か混声版かは記憶が定かではありません。

ちなみに、立教大学グリークラブ現役時代、養声関係のイベントでの学年発表でせきの代の女声が「贈り物」だか「白鳥」だかを取り上げたこともあったような。

F4はタイトルだけ耳にしたことがあります。

F1の作曲者による別のモテットは新潟ユース合唱団で今年やりました。

一番いっぱい書けることがあるのは、やっぱり男声曲。

M1の「Mass for 3 voices」は、皆川達夫先生が女声合唱団を指揮するレパートリーのひとつで、かつては立教女声でも3年周期ペースで取り上げていました。最上声部に高音が連発するため、Sopranoがしんどそうにしている演奏が多かったような。まあそんなわけで個人的に女声合唱のイメージが強いです。

男声合唱による実演に接したことはありませんが、昭和50年代後半に立教男声がヨーロッパ演奏旅行で歌ったらしいです。

ちなみにせきは「Mass for 4 voices」を混声で歌ったことがあり、けっこう難儀した覚えがあります。

M2は楽譜を持っています。

課題曲はTÉNORS・BARYTONS・BASSESの3パートで始まり、ところどころでdiv.しつつ、最終的には各パート2部の計6声にまで分かれます。

プーランクの男声合唱作品全般にいえる傾向として、臨時記号による転調が頻出し、TÉNORS・BARYTONSはかなりの高音域が使われてます。

終盤で連呼される「beate Antoni」は組曲全曲を貫くもので、第1曲・第2曲(課題曲は4曲組の終曲)にも似たような念仏が出てきます。

M3が収録されている組曲「だれもの探検」は、せきが大学4年のとき法政大学アリオンコールが定期演奏会で取り上げました。ただ、せきは諸事情で本編に間に合わず、アンコールで団員のリクエストと称して確か第1曲を演奏したのだけ聴いたのが唯一の体験です。その演奏を聴いて思ったのは「ごちゃっとしている」の一言。

昨年になって出版された楽譜も、立ち読みした限りでは、譜面づらは雑然としていて、一昔前に聴いた演奏と変わらない印象でした。

M4は組曲の終曲で、涙ものです。母親への思いを綴った3つの詩(特に締めくくりに配された「なずな」は星野富弘氏ならでは)を連結してテクストにしており「母に捧ぐ」というサブタイトルが付けられています。

課題曲12曲中、せきは唯一これだけ演奏体験があります。大学2年の時、男声定期演奏会の最終ステージで、北村協一先生の指揮・久邇之宜先生のピアノにより「花に寄せて」全曲を歌いました。この組曲を演奏するにあたり、北村先生は譜面と違う細工をちょこちょこ仕込んでいます。細工の中で、「なずな」冒頭に相当する部分にレシタティーボ的な処理をしました。この指示を受けたとき驚いたのですが、いざ歌ったり聴いたりしてみたところでは効果的だと個人的には思います。

北村先生は立教グリーの翌年、第43回東西四連の関西学院グリークラブ単独ステージでほぼ同じ解釈によりこの組曲を取り上げました。そのライブ音源が慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団公式サイトの「演奏資料館」で聴けますので、ご興味のある方はどうぞ。

あさって歌う2つの民謡合唱曲

あさって歌う2つの民謡合唱曲

きたる2009/10/24に開催される「第1回 にいがたコーラスアンサンブルフェスティバル」で新潟ユース合唱団が取り上げる曲のうち、三善晃作曲「佐渡おけさ」「ソーラン節」について。

この2曲はいずれも「混声合唱のための 五つの日本民謡」という曲集に収録されています。東京混声合唱団というプロフェッショナルが委嘱・初演しただけあって手加減なしの難易度で、アマチュアだと腕におぼえがなければ手が出せない代物です。正直、新潟ユース合唱団としては大冒険の選曲なんですが、よく喰らいついてるものだとせきは感服します。

出版譜のライナーノーツは分かりにくいのですが、端的に言うと「民謡を題材に作曲する際、自分なりのフィルタがかかった。合唱団の皆さんには、民謡が歌われる現場のナマの空気やリアリティを忘れないで演奏してほしい」という趣旨なのでしょうかね。

もっとも、民謡の原型をなるべく残そうという苦心は随所にあらわれていて、それがこの曲集の、特に音取り段階での難しさにつながっています。

最近はYoutubeやニコニコ動画などに民謡の動画が投稿されているので、原曲の民謡に簡単に触れることができるようになりましたから、いろいろ視聴してみると演奏に役立つものが得られると思います。


佐渡おけさの原曲は、酒宴のお座敷で歌われたもののようです。日本語版Wikipedia「佐渡おけさ」の項を読めば概要がつかめるでしょう。女声パートを悩ませる「ハァ アリャサッサッサ」は、原曲では音程の付かない掛け声・合いの手です。こういうふうにして音程のないものから複雑な和声をつけた曲として、能の謡を土台にした「王孫不帰」という三善氏の男声合唱曲を、せきは想起します。

歌詞には様々なバリエーションが存在します。「佐渡おけさ」→「佐渡おけさ歌詞集」に列挙されています。合唱曲に採られていない歌詞の中には、佐渡島と越後の遠距離恋愛をほのめかすものもありますね。

三善晃氏には「佐渡おけさ」による混声合唱曲がもう1作品あります。和太鼓などの打楽器とピアノが付くもので、合唱団弥彦が1996年に初演しました。初演演奏会で三善氏と宗左近氏の対談があり、その中で宗氏が草柳大蔵氏から「新潟芸者の歌い踊る佐渡おけさは雨が降るよ」と言われたというエピソードを紹介しています(詳細:合唱団『弥彦』夜と谺(こだま)〜対談「宗左近、三善晃」)。


三善氏による合唱曲「ソーラン節」は、柴田南雄氏(新潟ユース合唱団のボス・tek310氏が好きな作曲家の一人)が、労働のナマの息吹があると激賞したものです。
ソーラン節の原曲は、北海道の漁師が、獲れたニシンを網からタモで船上に掬い上げるときの労働歌です。詳しくは日本語版Wikipedia「ソーラン節」の項をどうぞ。

途中「ごみ島」が出てきますが、「ゴメ島」「奥尻」「これ島」と歌うバージョンもあります。「ゴメ島」と名の付く島は北海道に何箇所かあるのですが、ニシン漁ということを踏まえるなら、道北端に近い枝幸郡枝幸町音標にあるゴメ島と理解するのが最も蓋然性が高そうです。なお「ゴメ」とはアイヌ語でカモメのこと。
ソーラン節にもさまざまなバリエーションの歌詞が存在します。場を盛り上げるために歌われるアドリブも多く、中には景気づけのために歌われる、色っぽい、時として卑猥な歌詞もあります。

深沢眞二氏の著書「なまずの孫 3びきめ 邦人合唱曲への文芸的アプローチ」26〜27ページ(メロス音楽出版)によると、「離れ島でも〜」のくだりについて「もてない男だって漁で稼げば港の女郎屋でもてまくる」という解釈もできるとのこと。それを踏まえると「一夜千両の網起こし」も「モテるために稼ぐぞ!」という裏の意味が漂ってきますね。