2010/11/3・4の日記(その2):耕友会コンサート Vol.6

2010/11/3・4の日記(その2):耕友会コンサート Vol.6

前記事「2010/11/3・4の日記(その1)」では触れなかった演奏会リポートの第1弾。

11月3日の夕方、新宿文化センターで「耕友会コンサート Vol.6 —松下耕指揮者生活25周年—」を聴いた。

プログラムはすべて松下氏の近作、しかも耳にする機会が少なそうな編成の曲ばかり。

〔「耕友会コンサート Vol.6」本編リポートに続く〕

2010/11/3・4の日記(その1):東京うろうろ

2010/11/3・4の日記(その1):東京うろうろ

久しぶりに泊まりがけで上京した。東京に出るのは一昨年5月に現役六連を聴いたとき以来。泊まりがけでとなると、2007年2月の「北村協一追悼演奏会 Love。」出演時だか、2004年5月の第3回OB六連出演時(このときが立教OB男声メンバーとして歌った、現時点では最後のステージ)だか以来。

11月4日に立教大学グリークラブの女声定期演奏会へ行くことは早くから計画していた。当初は日帰りのつもりだったが、先月初め頃、前日11月3日に耕友会コンサートがあることをツイッターで知る。幸い3日は祝日。お仕事は平日だけなので、職場に申請する休暇はどっちにしろ11月4日の1日分だけ。せっかくだからそちらも拝聴しようと、上京を1日前倒しして泊まることにした次第。

あ、先にお断りしておきます。演奏会リポートは日を改めて別記事として書きますね。 今回はそれ以外の時間をどう過ごしたかの話です。

〔東京滞在記に続く〕

2010/10/30の日記

2010/10/30の日記

18時より、えちごコラリアーズの練習 於 新潟市西地区公民館@新潟市西区内野町に出席。移動はマイカー。前回に続いて初めて行く場所。行き方の予習を半端に済ませてしまったため、手前で道を間違い、お茶購入を兼ねて立ち寄った酒屋で場所を確かめる体たらくだった。主にそのせいで10分ほど遅刻。

練習場の部屋に足を踏み入れて驚く。第1回(2010/09/25)第2回(2010/10/16)から出席者が倍増し、2ケタいる! しかも全パート揃っている! やはり元からのTenorがいると違いますね。

練習に先立ち、出席者一同で自己紹介。男声合唱経験者の割合が予想外に高かった。新大室内合唱団・新潟大学医学部合唱団からのメンバー数名がせきと初対面。

練習内容については藤田代表のブログに詳しいので、ここでは割愛します。初見というメンバーが半数以上の割にはテンポよく進んだのではないかと。

「Bushes and Briars」練習を終えた折り返しの休憩で、メンバー2名が同じフロアの別室でやっている合唱団NEWSの練習に移動するため抜ける。

このブログやツイッターを読んでくださってる方々は当初せきの喘息を気遣って下さったが、事情をご存じない方が見ると特に不審がられない程度にまで快復したもので(薬のおかげです)、練習が始まってからは「元通りですね」と驚かれた。でも当人の感触としては、前回の練習時に比べると戻りは7割強といったところ。まだどこか喉に引っ掛かる部分が残っているし、歌っている最中に2〜3度ほど咳き込んでしまった。

あ、そういえば、団の略称は「えちコラ」になったのですね。指揮者のtek310さんが話の途中でその単語を出してました。たぶん初耳。

21時過ぎに練習終了し、21時半ちょっと前に解散。

喘息発作後の近況

喘息発作後の近況

1週間前に書いたエントリ『喘息なう、2日続けて点滴。』の続きです。要は順調に快復中って報告なんですが、それでも心配する人がいらっしゃるようなので。


お医者様からいただいた各種薬剤のおかげで、ゼーゼー・ピーピー・ヒューヒュー音を伴う息苦しさは2、3日ほどで軽快しました。とはいえ、完治したのでなく薬で発作を抑止する状態が続いているわけで、過信は禁物。

あのエントリを書いた翌日から勤務再開しました。職場復帰初日から無事に一日を勤めあげ、今日まで欠勤・遅刻・途中退勤せずに続けてます。日が進むにつれ息が上がらなくなってゆくのを実感できて有難いです。昨日あたりからダウン前と変わらないぐらいのペースで動き回れております。

24日には、ちょっとしたご縁からお声掛けいただき、地元の某イベントに伺い、いきものがかり「ありがとう」を一同で斉唱しました。ブレスを流す分量を無理のない範囲内に控えたこともあり、破綻なく歌うことができました。

今週に入ってから、病院の薬剤師さんに確認を取ったうえで、浅田飴が作って別会社が販売している「ビノックのどクールS」という鎮咳去痰薬の飴を勤務中になめてます。これを選んだのは効能書きに「ぜんそく」の文字があるから。おかげで、痰が絡む咳が軽減し(まだ少々残ってはいますけど)、昨日今日いきなり気温が下がったことによる咳の増加も最小限で済んでいます。

せきは脱水症状が喘息発作の引き金になりがちなため、普段は勤務時間内にペットボトルの烏龍茶2リットルを飲んでいますが、職場復帰後の1週間は烏龍茶に加え、経口補水液と称する飲料水「OS-1」500ccとスポーツドリンク1〜1.5リットルも飲んでいます。OS-1(すごく脱水に有効!)とスポーツドリンクは今日から体調とのバランスを見つつ徐々に減らしてゆく方向です。

えちごコラリアーズの練習が30日の晩にあり、リハビリを兼ねて参加予定です。咳き込みすぎて迷惑を掛けないように気を付けねば。


『Zensoku.jp -ぜんそく治療のゴールを目指して-』というウェブサイトは、十数年ぶりに喘息の発作を出したせきにとって、とても勉強になります。また、そこで紹介されている事実「オリンピック日本代表選手の1割強が喘息持ち」に励まされる思いです。

【本サイト更新】2010/10/23 22:30

【本サイト更新】2010/10/23 22:30

「合唱アンサンブル.com」サイト本体を更新しました。更新内容は次の通りです。

  • 「日本の絶版・未出版男声合唱曲」について下記を更新しました。
    • ハ行の作曲家(ハ〜ヒ)
      • 廣瀬量平の項を更新
        (「海の詩」松平敬編曲バージョン出版を反映、松平氏のサイトにリンクを張る)

付記

今回の出版を告知する編曲者・松平敬氏のブログ記事「[出版] 廣瀬量平(松平敬編曲)《海の詩》男声合唱版 – KLANG weblog」に以下の記述があります。

1曲目「海はなかった」は1975年のNHK合唱コンクールのために作曲されているので、ご存知の方も多いと思いますが、この曲のみ男声合唱版、女声合唱版が発表され、残りの曲に関しては一部編曲の試みが行われていたようです

いちおう、廣瀬量平氏ご本人も男声合唱版を全編書き揃えていた模様です。『法政大学アリオンコール70年史』という冊子に、同団が組曲全楽章を法関交歓演奏会の学生指揮者ステージで取り上げたことが記載されています。

なぜか廣瀬氏は自らが編曲したことを失念なさったらしく、また恐らくは作曲者のもとにその譜面が一部しか残っていなかったことから、ある時期以降に廣瀬氏のマネージメントスタッフに問い合わせると『残りの曲に関しては一部編曲の試みが行われていたようです』という返答になったものと思われます。これが正しければ、楽譜管理の観点から遺憾なことです。

そんなわけで、本サイトでは、男声合唱版「海の詩」について、このたび出版された松平氏によるトランスクリプションと、作曲者ご本人による未出版のトランスクリプションの2バージョンが存在するものとして扱います。

作曲者ご本人による男声合唱版「海の詩」を委嘱初演した鹿児島大学男声合唱団フロイデコールと法政大学アリオンコールは、愛唱曲「あつい涙」を媒介に、関西大学グリークラブ経由でのつながりがあります(詳細は鹿児島大学男声合唱団フロイデ・コール公式サイト「あつい涙フォーラム」を参照)。あくまでも憶測レベルですが、男声合唱版「海の詩」も同じルートで楽譜が渡されたのかもという可能性が浮かびます。

付記に対する追記(2011/01/09記)

作曲家 廣瀬量平(広瀬量平)事務所公式ページ『「海の詩」編曲版について、廣瀬量平事務所からのお知らせ』によると、廣瀬氏のトランスクリプションではピアノパートを書き換えることはありえないし、『「シーラカンス」の図形譜の扱いには、廣瀬自身が難渋していた事実があり、この部分についても廣瀬が編曲、発表したということはありません』なのだそうです。

廣瀬量平事務所による説明通りならば、鹿児島大学男声合唱団フロイデコールが初演したという男声版は、別の人によるトランスクリプトなのに編曲者名が表記されなかったとか、一部の曲しか書かなかったのものを全曲演奏したかのように表記したか、いずれにせよ『法政大学アリオンコール70年史』もしくはそれが依拠した文書の間違いということになります。

真相やいかに。